「俺は確かに夜鷹だよ。でも、それで良いと思ってる。いや、映画作家なんてものは、所詮そんなもんだ。橋の下で客の袖を引くのさ。橋の上になんて、恐れおおくて立てないね」
『絢爛たる影絵 小津安二郎』より
一発目ということで無難に書評でもということで與那覇潤の『帝国の残影 兵士・小津安二郎の昭和史』でもと思ったのだが、読んでみたら「小津安二郎の昭和史」ではなく「小津安二郎を通した昭和史」といった内容で、期待していた中国戦線に出征した兵士・小津安二郎の実際はそれほど触れられておらず、すっかり肩透かしを喰らってしまった。
しょうがねえな。だったらコンセプトだけいただいて小津安二郎を通して今後自分が投稿する記事のスタンス表明をするのはナカナカ面倒くさくて面白いんじゃないかと。
では、以下披露。
さて、小津に関する本を読んでいると、かなりの確立で採用されている話として「吉田事件」というものがあるわけだ。昭和38年、大船撮影所と契約をしている監督の親睦会で酔った小津安二郎が吉田喜重に執拗にからんだというこの「事件」は、小津の映画での助監督経験もある高橋治『絢爛たる影絵 小津安二郎』にもっとも生々しく活写されている。
座敷の中央で床柱を背負う席の小津がふらっと立って来て末席の吉田の前に座った。吉田は監督会への入会を歓迎されるのかと思った。
「俺はな、橋の下で菰をかぶって春をひさぐ夜鷹なのさ。吉田君、君は橋の上にいるのだろう」
吉田には小津のいわんとするところがわからなかった。
「橋の上に立っている人間なんだろう」
吉田には答えようがない
「橋の上に立って、橋の下の世界を見下しているんだろう」
この後に冒頭の所詮そんなもんだという発言になる。小津の憤怒は雑誌の合評会での『小早川家の秋』を評しての「芸術ではなく芸として生きている視点」「全然思想というものが信じられない」という吉田の発言を受けてのものだが、その吉田はこの「事件」をのちにこう書いている。
酔いにまかせてゆるやかにその巨躯をゆさぶる小津さんを前に、私はこの人には肉体があるという実感に襲われるとともに、私には娼婦になるための、肉体を遥か遠くに捨てさっていたことを痛切に思いいたったのである。
…たしかに私の映画は小津さんのそれとは距離のあるところに位置している。…私自身をはてしなく変革していくことを選んでしまった以上、私は自分自身を売るための豊満な肉体をすでに喪失していたからにほかならない。
「事件」は両者がはっきりと自覚しているように、表現において何を至上とするかというスタンスの対立だったわけだ。
この対立はどちらが正しいとも言えず、客に見せる芸としての洗練と自己探求の提示という二つ立場は一人の作家の内面でせめぎ合うものである。吉田はそれを理解した上で前者としての小津を斬って捨てて自らのスタンスを鮮明化させたわけだが、斬られた方の小津は確かに気分はよくないだろう。それを頓着しなかったって辺りはヌーヴェルバーグというのは青年的な運動だったということだね。
ここでようやく自らに架かってくるわけだが、じゃあお前はどっちのスタンスに立って記事を投稿するのかとなると、オッサンに片足を突っ込む年齢になった自分には自らを夜鷹例え肉体を誇示する大人な小津に惹かれる。吉田達ヌーヴェルバーグ作家たちが確信犯として肉体ではなく観念を選択した後に、その表層だけを模倣した奴らが今の日本の状況を作り出したことを考えると、今橋の下で肉体を売ることこそ必要と思うのだ。
そんなわけで、果たして自分には橋の下で売る肉体があるのかと自らに問いつつも、でもやるんだよっと腹を括って記事を書いていきたい思いますのでドウゾよろしゅうに。
上を書いた後に秋葉原に買い物に行ったんですが、ここにはバーチャルで醜いけど等身大な肉体があるんだなと思ったりした。肉体を忘却した世代が嫉妬して表現規制とかしたがるのもむべなるかな。現実の肉体の置き所に悩みが多かっただろう小津だったら今の秋葉原を肯定しそうな気もするが、どうだろうか。