今村昌平、押井守、ロン・ハワードな石垣島探妄記

石垣島のイメージっていうと無難なとこは南国リゾートって辺りなんだろうけど、どうも自分の場合は南国は南国でも土俗神話的なイメージで固まっていた。なんでっていう話だが、どう考えても石垣島で撮影された今村昌平の映画『神々の深き欲望』の影響だろうと思う。この映画を見たのはかなり昔なんでもう細かい部分なんかは忘れてしまったし、それどころか面白かったのかどうかの記憶も定かではないんだが、イメージ的な部分での鮮烈さは強く自分の中に刻印されちゃったようなんだね。失礼な話ではあるけれど、行った事無いんだから。誤解が無いように言っておくと、『神々の深き欲望』は石垣島で撮影をされてはいるが、舞台となっているのは架空の「クラゲ島」という離島である。撮影時にも「石垣を野蛮に描きやがって」と地元新聞に書かれたりしたそうだけど。
神々の深き欲望
当然ながらそういうイメージはあくまでイメージであって、今の石垣がそういう土俗神話なものとは離れた世間一般で認知されている所謂“リゾート地”であることは理解している。なんだが、自分が根本的にリゾートというものに思い入れがイマイチというのに加えて、どうも“石垣発情報”ってやつが人からも本からも錯綜しているというか、ぼんやりと得体の知れないもんが多く、結局自分の中でかなりカチカチな土俗神話的なイメージは上書きされることが無かったんだね。というか『神々の深き欲望』からして、リゾート化を目指すコミュニティが邪魔になる家族を排除するって話で、あれこれ出てくる情報と妙な一致もあったわけだ。そんな感じの中に申し訳ないんだけど在住の切腹五郎氏が『神々の深き欲望』で三国連太郎が演じた根吉よろしく居るみたいな。
そういう何かモヤモヤとしていたところに、CUE氏から石垣行きに誘われて、こっち(東京やら川崎やら)で何度か飲んでいる五郎氏に御返杯的な仁義も果たせるという部分も含め、こりゃあ色々とスッキリとさせるには渡りに船だなぁと即応しちゃったんである。とりあえず、行けば分かるさと。というわけで、今回の石垣行きの主な目的というか表テーマはその五郎氏を訪ねて酒を飲むってことなんだが、裏テーマとしてはそういう石垣の虚実をはっきりとさせ、本質的なものをコッソリと掴んで俎上へのせてやるぜ!うはははは!という野望の王国を秘めてのものになったわけなのである。まぁ普通に酒飲んで帰ってきたらこのサイトやってる意味が無いしね。そんなんで今回は個人的な上に変則的なんでご注意を。止めるなら今だ。では以下長いんでダラっとどうぞ。

那覇から石垣に入ってもハッキリしない天気は変わらず。どこぞの地方駅風な空港を出ると、おもいっきし曇天。今にも雨が降り出しそうだ。天気予報大ハズレじゃねえか。と言ってもしょうがあんめいと自転車を組み立て石垣市内へ向かう。走り始めると、まぁ空港周りなんでレンタカー屋が多いのは分かるんだが、妙にアパートやなんかの建物が目に付く。市内からちょっと外れた辺りに金の無い若い“移住者”向けのワンルーム系が結構多いってのを本で読んだがそれだろうか。そういう“移住者”をめぐるアレコレも今回見極めたい辺りである。石垣へのそういう人の流れがあるのは大きな病院があって、都市的な生活もギリギリ謳歌できるってのが理由らしいが、確かに走ってて南洋リゾート感は全く無いというか(曇天ってのもあるが)、ちょっと前に行った三浦半島みたいである。離島振興費やらのお陰か道路はこっちの方が立派なんだけど。
マックの看板があったんで、ちょい寄り道と矢印の方へ行くと、あるわあるわ、マックスバリューの周りにモスにダイソーと大戸屋。その先には看板どおりのマックがあって、さらにちょっと行った奥にはTSUTAYA。ちょっと戻って左に曲がっていくとしまむらとゲオまであった。なんでもあんじゃん。首都圏の下手な街より都会だぞ。なるほど、これならややこしい価値観を捨てないで移住できてハードルも低いだろうねえ。とか考えつつ走ってたら幸福の科学もあったりして。至れり尽くせりだな。この手の宗教(特に幸福の科学はそうだけど)は基本都市生活者相手のもんで、少なくとも市内はそういう原理が支配しているってことだろう。どうも他の有名どころの支部も大体あるようで。

パラパラとまばらに落ちる雨を感じながら走り続け、ガチャガチャした港を見ながら結局リゾート感ドコだよとか言ってるうちにホテルに到着してしまった。雨降り出したし遠出もキケンってことで、どうすんべかと思ったが、上手い具合にホテルの目の前が離島ターミナルなので、荷物を預けそのまま典型的リゾート感を求めて竹富島へ向かうことにする。リゾート的なもんは初日で十分だしな。ターミナルに行くと五分後出発のがあったので往復切符を買ってズンズン乗り込みとすぐに出航。
出てすぐにターミナル向いにある石垣新港の殺風景極まりない埋立て工事を見ることになる。これリゾート的にどうなんだ。なんでも燃料基地と大型旅客船のターミナルを作るそうだけど、何かっていうより土木したいんだろうね。港外に出てようやくリゾートっぽい風景となるが、まばらだった雨はどんどん強くなり、竹富島に上陸する頃にはドシャ降りであった。どうすんだよ。
竹富島・家屋
幸い船の待合で傘が売っていたのでそれを買い、島の中の方にある保存地区へ歩いて向う。途中に牛が放牧されており、こやつは竹富島育ちだが石垣牛ってことで出荷されんのかなとかアイドルの前歴的悲哀を考えているうちに保存地区のサンゴ石垣が見えてくる。おーこりゃーリゾートだわー(ミサワ顔)。余りにも過ぎてちょっとテーマパークっぽいんだけど、人がリゾートを求めるのは日常的(日本的)生活感からの逃避だっていうことを考えると、確かにそういうものからはしっかりと隔絶していてリゾート地として名高いのも納得である。島の民宿には女性客が多いそうだが、むべなるかな。日常が嫌ならそれを面白くすりゃ良いんじゃないのっていう自分には納得できればとりあえず以上ってことで、その辺からちょっと外れた島内の御嶽を中心に見て歩くことにする。
竹富島・御嶽
島の大きさからすると結構な数の御嶽があるんだけど、雨が降っているのもあってどこも妙に神さびている。御嶽のことは岡本太郎が『沖縄文化論』で「あの潔癖、純粋さ。―神体もなければ偶像も、イコノグラフィーもない。そんな死臭をみじんも感じさせない清潔感。」なんてことを書いているが、正直沖縄の御嶽をあちらコチラ巡ってもイマイチそれが感覚的に掴めなかったんだけど、ここに来てようやくちょっと分かったような気分になった。観光シフトであっても島の人間が大事にしてるって辺りで違うんだろう。まさかリゾートリゾートしたとこで『神々の深き欲望』的なものを感じるとは思わなかった。
竹富島・鳥居
気になったのは沖縄の御嶽ではあんまり見ることのなかった鳥居が入り口にあったりすること。岡本太郎なんかに形式主義って批判しそうだけど、沖縄と違い戦争がスルーした八重山は本土の神道的なものへの忌避感があまり無いっつーこともあんのかな。まぁ外から来たまれびとが落とす金でこの景観を維持していることを考えると、沖縄のように夢見る少女(左より)じゃいられないっていうのもあるんだろうけどね。その辺ナカナカ現実主義っていうか。中国人富裕層をターゲットにした大規模リゾート計画も進行中だそうで、ただ守ってるだけじゃない攻めの姿勢もあるようである。沖縄じゃ中国マネーへの期待が事大主義とカーゴカルトが一緒になったような軽薄さを感じたが、竹富島にはそうはならないという妙なしたたかさをチラリと感じる。と言っても、それが外への「依存」となるのは紙一重なんでどうなることやら。反対派も当然いるようだけど、その中の移住者の割合がどんなもんなのか知りたいところだな。
石垣市内
という感じで、それなりに堪能すると同時に得るものもあり満足して石垣に戻る。ホテルでシャワーを浴びて雨でスッカリ冷えた身体を温め、髪の毛を拭きながら窓の外に広がる石垣市内の景色を見ると、ベトナムのサイゴン市のようであり、これから俺はカーツ大佐を殺しに行かにゃならんのかっていう気分になる。実際、石垣のカーツ大佐よろしくの五郎氏に会うわけなんだが。
夜はその五郎氏が席を用意してくれているらしいが、まだチトどころかカナリ間がある。となると、ボンクラの義務的として市内パトロールに出掛けなければならない。残念ながらヌンチャクは持ってないんだけどさ。

というわけでカメラを肩に提げ石垣市中心地の方へ歩き始めたんだが、あったま痛え。どうも連日の人力移動と雨にうたれ続けた身体のダメージが結構蓄積していたようである。元々頭痛持ちってのもあるんだけどね。パトロールどころか歩いているのも辛くなってきたので、その辺の化粧品屋にしかみえない薬屋に飛び込み頭痛薬を買って服用する。このオクスリ服用が後に悲劇を。
薬の効果をゆるゆると待ちながら美咲町の飲み屋街をちょろちょろと流してみるが、町の人口比からするとその手の店が異様に多いと感じる。観光客向けなのかと思うとどう見ても一見じゃ入りづらいような店もあり、こんだけやって行けてるってことは観光だけじゃなく島にいろいろ金が落ちてるっていうことだな。ただ、人口比って辺りも石垣は登録してない“移住者”も含めると公式の住人数より一万人ほど多いらしく、従業員的な部分も含めそういう人金的流れもあるって辺りで、いろいろとややこしいんだかめんどくさいんだかっていう事情もあるようだ。まぁともかく食えちゃってるってわけ。

頭の方も正常化してきたので、石垣市公設市場の方へ向かうと、こてこての地元系の店、観光客相手の土産店、カルチャーな感じのオサレ店とお団子になっているところに、さらにアーケードがあってそん中に市場と狭い場所にベクトルの違うものが全く調和が取れてないでズルっと並んでるのでニヤリとなる。こういう不調和音が見たかったんだな。面白いことにこのカオス感のせいか知らんが、やや廃れちゃった首都圏沿線駅前通りのような生活観の薄さがある。初見の「三浦半島っぽい」ってのと同じなんだが、要するに沖縄が良くも悪くも“色”が付いているのに比べて、石垣には良くも悪くもそういう“色”が無いってのが特徴なんじゃないかとなんとなくと考えながらパトロールを進める。
石垣市内・スナック
何か嗅覚のようなものが働いたので、それを信じて北西方面へ歩いていくとあるぜあるぜスナックが。っていうか、ここ市役所の向かいじゃなかったか。うーんでも、どれも閉まってる。なんだろう、不況波が石垣にも~とか考えつつ地方スナックにありがちな適当な名前の看板をあれやこれやと撮っていると、結構な時間が経っていたらしくCUE氏より連絡が来たんで、またパラパラと降り出した雨の中あわてて指示された集合場所へ向かう。
石垣市「瑚南」看板
集合場所へ行くとちょうど五郎氏、CUE氏一家がそろって店へ向けて歩き始めたところで路上での邂逅となる。五郎氏とは初夏に川崎で飲んで以来か。そして、CUE氏の奥さんは結構久しぶりで息子は初対面と言いたいところだが、実はこっちとは石垣へ向かう途中、沖縄の空港で会っちゃってるのだ。パラパラときてるんで挨拶もそこそこにとっとと店へ向かう。五郎氏はおもいっきし正面に「BAD MOTHER FUCKER」とプリントされたエゼキエル書25章17節をがなりそうなTシャツを着ており、石垣でも相変わらずのようでなによりである。そんななんでカフナバーガーっぽい場所なのか思ったが、到着した店はさっきパトロールした美咲町にある直球勝負な地元的佇まいの居酒屋「瑚南 (こなみ)」。子供も居るっていう辺りで五郎氏の気遣いっぷりを感じるチョイスである。
石垣市「瑚南」店内
中に入ると、カウンターに椅子席、そして座敷とオーソドックスな安心できる造り。客層は店の佇まい同様地元の人が多いようだ。メニューやなんかを見ると石垣ならではといった食材の料理を出す店らしいが、この辺は饗応主である五郎氏にお任せ。
CUE氏息子
とりあえずオリオンビールやらで乾杯すると、まず座の中心となるのは当然といった感じでCUE氏の息子となる。CUE氏夫婦の息子らしくというべきなのか、場末のスナックでフランク永井でも歌いそうな安定感がある幼児で、何か燗した辛口吟醸酒でも薦めたくなるような風格があるのだ。親のCUE氏自身が「昭和」と評する土門拳ライクな雰囲気で年配者を中心に注目の的という話は聞いていたが、なるほど納得である。初飛行機も特に泣いたりはしなかったらしく、そういう辺りも含めなにか動きが若山富三郎の殺陣のキレを思わせるものがあり、ナカナカ見ていて楽しい。
石垣市「瑚南」四角豆
とか言ってる内に、刺身盛り合わせと四角豆の天ぷらとかいうのが来る。刺身はともかく四角豆ってなに?と五郎氏に聞くと、こっちでしか採れないのでとりあえずと薦めてくるので、一つ摘んでみると確かに角が尖ってはいるが切り口は四角だ。っていうかスターフルーツの切り身に足が一本無い感じ。一緒の皿にあるパウダー状のものを付けて食べるようなので、そのようにしてみると、想像よりもエラクさっぱりした味。さやえんどうをぶっとくして食感を柔らかくしたような感じか。パウダー状のものは塩とカレー粉を混ぜたものらしく、合わせ技でスナック感覚的なもんになりビールに合う。後で調べたら、蔓が伸びて日除けになるっていうゴーヤと同じ理由でちょろちょろと本土でも普及し始めているようだ。これもゴーヤ同様段々と全国区になっていくのかな。
石垣市「瑚南」刺身盛り合わせ
五郎氏とCUE氏が「石垣の人間はちょっちゅねって言わない」論争をするなか、飲み物をシークァーサーサワーに切り替えてみると何時も飲んでいるもんよりサッパリしていて美味しい。生絞りが入っているらしいんだけど、実際のシークァーサーってこんな味なんだな。シークァーサーサワーは好んでよく飲むけど、シロップかよってくらい甘いのがあったりするんだよね。こういうのが主流になって欲しいなぁ。
石垣市「瑚南」石垣牛にぎり
それを飲みながら魚餃子なんかを堪能した後に来た石垣牛の寿司は流石の味。こっちも想像してたよりサッパリというかアッサリした感じ。実は貧乏体質なのかサシがしっかり入った肉はイマイチ苦手だったりするんだけど、その辺全く気にならずにぺロっと食えた。都内なんかじゃエラく高いわけだ。なんだろう育った環境的な辺りで脂の質が違うんだろうか。
石垣市「瑚南」ハブの唐揚
飲んだり食ったりしているうちに結構な時間が過ぎていたらしく、そろそろCUE氏の息子はそろそろ遅いんでっていう話で、最後に折角なんでハブの唐揚という流れになる。というわけで来た唐揚なんだが、言われなきゃ鰻・穴子系の素揚げですって言われても分かんないな。以前なんの蛇だか忘れたが中華系の蛇料理(やっぱり揚げたもの)を食った記憶があり、濃い鶏肉のような味と食感だったんだけど、ハブもほぼそんな感じ。ただ、美味しいんだけどちょっと肉が少なく小骨が多いかな。まぁこれで味も結構な上に肉が多かったら、早いとこハブ絶滅してるよな。
というわけで、一旦お開きというカタチで饗応主の五郎氏とお店に感謝しつつ退店。なんというかやっぱり地元系の店はいいね。しかし、表通りにはいかにも観光客向けみたいな店が多くて、噂によればそういう店だと店員が移住者系が多く、石垣関係ない上に素人同然の料理を食わされるなんて話も聞くので、その辺だけ触れて帰る人もいることを考えるとなんだかもったいないとうか観光地としてどうなんだという気もするが、この点も黙ってても人が来るっていう石垣の難しさなんだろうと思ったりする。自分らも五郎氏に連れて来られなきゃ、そういう店に当たったかもしれんわけだしね。北海道なんかでもというか観光地じゃ同様の問題はあるわけだけど、場所が狭いだけにあからさまな部分があるな。それに北海道は新規の移住者は居ないもんな。
この何故石垣に移住者が今も絶えないかってのは、暖かいんで住みやすそうとかスーパーネイチャー系よろしくの単純な南国志向ってだけじゃない何かがあるんだろうけど(最近じゃ放射能忌諱型なんてのもあるようだが)、この辺今回の石垣滞在中に押えなきゃいけないところだ。
石垣市内・夜のアーケード
CUE氏の奥さんと息子をホテルに送り、後はオッサンタイムとなる。続けての五郎氏チョイスである。何処に行くんだろうと思ったが、さっきのスナックゾーンの辺りであるらしい。なんで、みんな閉じてたけどと聞くと、大体10時過ぎに明かりがつくという話。うーん、単純にスナック的な店じゃないのもあるっつーことか。この辺ちょっと前に書いた横須賀っぽいな。街のマージナルに郊外型の大規模店舗があることも含めて。ただ、こっちの方が妙に閉じている印象が強いのはナンだろう。途中、パトロール時にはそれなりに明るかった雰囲気があったアーケードを通ると、時間も時間なんですっかり暗くなっている。土産屋がやってないと更に首都圏沿線臭が増すなぁ。
スナックがある辺りに行くとなるほどさっきとは違いチラホラと看板に電気が入っている店がある。それにしてもさっきは気付かなかったが結構な数がある。一見の観光客(リゾートは女性多いしね)はスナック入らんだろうし、基本地元需要なんだな。

さて、オッサン向け五郎氏チョイスの店はそんなスナック街(街ってほどじゃないが)にあるやや妖しげな感じのバー。いや、“やや”じゃないかな。いろいろ書くと差し障りがあり過ぎるようなイメージが浮かんでくるような雰囲気のお店である。それぞれ適当に飲み物をたのんだ後、五郎氏に土産として持ってきたコイーバ(キューバの葉巻)を全員に廻す。南国なんでキューバの革命戦士風にキメようかと持ってきたんだが、どうも店の雰囲気もあって全員コロンビアマフィア寄りであり、なんか掃討されちゃう方っぽい。早速といった感じで葉巻をくわえた五郎氏はパブロ・エスコバル的貫禄があり、さしずめCUE氏と自分は買い付けに来た売人って辺りで多分後でどっちかがヘリから落っことされるんだろう。
と、毎度お馴染みなダラダラモードに突入。この辺会話はいつものどうしょうもない内容なんで特に記すことは無し。ただ、何時もと違うのは妙なデジャブが口に残るような感じがあって、それは何かと確認しようとするんだけど、ちょっと酔ったのか上手くそれを捕まえられないっていうよく分からないジクジク感があった。んだが、なんだろうって考えようかと思っているうちに次の店へって流れとなる。
次の店は美咲町に戻っての同じくバー。といってもさっきの店と雰囲気は変わり、何か市内に漂う首都圏沿線臭を煮締めて中央線沿線(中野~吉祥寺間)風味に仕上げてみましたっていう感じのお店。うーん。石垣に居るって実感がまるで無いな。前の店同様のダラダラモードに入る中、この店の“中央線沿線風味”ってのが石垣理解(主に移住者)の取っ掛かりになるんじゃなかろうかとチト考えつつ酒を飲む。なぎら健壱がライブやら高田渡ガラミで吉祥寺によく行くがどうもあそこには東京の匂いみたいなものを感じないみたいな言っていたように思うが、要するに基本中央線沿線的なものってのは戦前から連続したものではなく、戦後に地方出身者が中心として作られた作られた“東京”と言って良いわけだよな。といった辺りを搦め手にして攻め込んでみるが、どうも考えがまとまらない。というか頭の中がグイングインする。なんだ酔ったのか?しかし、酒に酔ったのとはどうも違う。あ、そうだ頭痛薬飲んでたんだと気付いたときにはもう遅かった。身体が言うことを聞かなくなり、座礁方面へまっしぐらである。いやー何時かこうなることもあるだろうと思ってたけど石垣でなるとは思わなんだ。結局、五郎氏とCUE氏(この後数件ハシゴしたそうだ)に曳かれるようにしてホテルへ帰り、ベットにノックダウン。幸い飲み過ぎでツブれたってわけじゃないので、すぐにパトラッシュ眠いんだっていうヤバイ方面ではなく安らかなおやすみマーヤ状態となり苦しんだりすることは無かったんだけど。まぁ人力移動の疲れも溜まってたんだろうな。なお、この辺りの状況を覚えているのは自分がどんなに酒やオクスリで身体がアカンようになっても意識はハッキリしているって面倒な体質だからです。飛んじゃった方が楽なんだけどね。
つーわけで、アクシデントというか自業自得で石垣の尻尾を掴むのは明日に持ち越しとなっちまったわけである。なお、自分はオクスリからのうっかり飲酒でこうなっちゃったりするのは結構常連だったりするんですが、通常の場合もっとヒドイことになるかと思われますのでくれぐれもご注意ください。周りに迷惑ですし。オマエがな。

朝目を覚ますと、特に酒が残ったりはしておらず気分爽快。やっぱし頭痛薬だったかと感想戦をしつつ、朝飯(バイキング)を食いにレストランへ向かう。自分の泊まっているホテルは五郎氏によれば数少ない地元資本系であるらしく、確かに従業員も地元民オンリーといった感じで、アチらコチらで見かける手馴れた移住者の影は無く、接客やらなにやらは良くも悪くも牧歌的な感じだ。当然部屋は普通の鍵だったり。
レストランへ行くと、その横がプールになってるんだけど、いかにも一昔前のリゾートホテルといったペカペカとした造りである。適当に食い物をよそってそのプール脇の席に着くと、縁でシーサーが本来の役割から離れ悲しげに口から水を吐き出しているのが見えて、こっちも何か悲しくなりながら飯を食う。このホテル、他にも大浴場の前が土産物売場だったりと謎なトコロがあり、大きな風呂があるということでここを選んだんだけど、着替えを持ってそこを通るのが嫌っていうか気軽に行けないんで結局滞在中に入ったのは一度きり。正直、新空港が出来て大資本が洗練されたサービスとともにドカドカとやってきたらいろいろと厳しいんじゃなかろうかと心配になる。いや厳しいっていうか駄目だろ。沖縄すでにそうなっちゃってるし。
石垣島・名蔵アンパル
部屋に戻り窓の外を見ると相変わらずハッキリしない天気だ。だからといってまた近所をパトロールしてもツマランので、多少濡れるのを覚悟で遠出をすることにする。まず始めの目的地として川平湾へ行き島田紳助の喫茶店とかいうのを冷やかす。そして、川平湾の先の裏石垣とかいう辺りに失敗移住地があるという話なんでそれを見学。帰りに具志堅用高記念館に寄るというルートを立案。オマエは石垣に何しに来たんだと言われそうだが、基本こういうのを見に来たんだからしょうがないのだ。天気が良かったらもうちょっとさわやかなルートもあったんだと思うんだが。
で、どうなったかというと独ソ戦のドイツ軍並みのボロ負け。市内を出てすぐにドシャブリとなり途中の名蔵アンパルに付いた頃にはパンツまでびしょぬれな五月みどり温泉芸者状態。引き返そうかと思ったんだけど湿地を抜ける橋で雨が止み虹が目の前にスコーンと出たので何かの祝福かとなんとか川平湾まで頑張る。が、峠を越えて川平湾に降りていくとカメラも取り出せないようなドシャブリの天は我を見放したか八甲田山死の彷徨。結局南極ドシャブリの中、峠への上り坂を空しく引き返すことになったわけ(峠を上りきった辺りで敗残の姿を車で通ったCUE氏一家に目撃されていたらしい)。なお峠の横にある山はぶざま岳とかいうナメた名前である。
具志堅用高記念館
名蔵湾まで出ると太陽が顔を出したので、テトラポットで上着やらを乾かし少し海遊びをする。アクシデントはそれはそれで楽しむしかないんである。石川啄木のインチキ悲壮感とは無縁な感じで蟹やヤドカリと適当に戯れた後は具志堅記念館へ。到着してみると、想像していたよりも立派な建物である。本人が二階に置いてあったもんを盗まれたみたいな話してたんでもっとしょぼいのかと思っていた。
入り口前の窓口を覗くが誰も出てこないので呼んでみるとジーさんがすまんねといった感じで出てきた。後で聞いたらこのジーさんは具志堅のお父さんらしい(未確認)とのことで普段は捕まると長いらしいんだけど、このときはNHKの連ドラの再放送か何かに集中していた(したい)らしくエラくゾンザイ。入館料を払い、写真を撮って良いんですかと聞くとこっち向かないで「イイ!」と投げやりに言うわけでとっとと邪魔にならんよう中に入る。しっかし誰も居ないな。石垣来た人間はここにくるのが義務じゃないのか。
具志堅用高記念館・二階
一階は売店なようなので資料があるらしい二階に上がろうとすると階段横にタイトルマッチのポスターがビシビシ貼ってあってあるので写真を撮りまくる。上って中を見ると、いやちゃんと資料たくさんあるじゃん。でも、よく見ると確かにグローブ関連が少ない。昔はガラスケースに入ってなかったのかな。まぁ見張ってる人も居ないし、正直無用心過ぎるが具志堅らしいっちゃーらしいのか。細かな展示物内容はマニア話になるので割愛。
ゆっくりと資料を見た後一階に下りて並んだ商品を見ていくと物好き的にいろいろそそられるもんがあるわけだが、引っかかったのはその中に写真つきサインがあって値段が400円なのだ。安過ぎね。「ほも弁買おうぜ!」と「具志堅のサイン買おうぜ!」が同じってどうなのと思いつつ面白いので買うことにする。テレビを見ているジーさんを呼んでサインとお金を渡すと無造作にビニール袋に入れて返すので噴出しそうになる。大事にしろよ!とか言ってる自分も自転車なんで特にサインを大事に入れるカバンやらはないので、コンビニ帰りよろしく手に持って帰るのであった。
石垣市・アレ
なんかギリギリな感じな保育園の壁画を眺めたりマックスバリュを冷やかしたりした後ホテルに帰る。撤退戦だったのでやや戻ってくる時間が早いんだが、今日の夜はまた五郎氏による饗応があるということで雨で冷えた身体をシャワーで温め少し昼寝することにする。まぁ前日の失態もあるんで休息を取って万全の状態で再出撃しようというわけだ。まぁ石垣の尻尾はあれこれ大体そろっているんで、後はしっかり掴んでその実感を頭の中で整理するという感じになるな。饗応を受けつつ、その辺を白黒付けると。当然ダメージも多少残っているだろうからお酒は控えめに。
中国製焼釜
目を覚まし窓の外を見るとやや薄暗くなっている。寝ている間に会場は五郎氏宅で五時頃というメールが入っておりちょうどいい感じだ。着替えてゆるゆると饗応の場へ向かうと五郎氏がZ級SF映画の宇宙船のような金属製の大きな謎物体の前でなにやら作業をしている。近づいて話を聞くとこの金属の物体は焼釜で中で肉を調理中とのこと。肉を焼くとは聞いていたがこんな本格的なもんだとは思わなんだ。なんでも天安門事件の頃の中国で、五郎氏父がわざわざ買って持ってきたものだそうだ。駐車場にはテーブルやら椅子やらも置かれ準備は万端っぽい。会場には前日自分がツブれたお店の方々がおりご挨拶。そのまま五郎氏お手製のチリコンカンをいただり会話をしたりしていつか来た道なダラダラモードに突入。奥に置かれたパソコンのiTunesからは五郎氏セレクトの音楽が流れている。
焼釜調理肉
その後、CUE氏一家も来て見事に焼きあがった肉数種を堪能したり(豚が最高に美味しかった)、生姜リキュールをもらったり、五郎氏のご両親に挨拶したりと色々と進行しつつも、申し訳ないが自分はキチンと頭の中でいろいろと整理せにゃならんと昨日の反省も踏まえ思索モード全開である。とりあえず何か取っ掛かりを~と頭の中の積み木をアレコレ組み替えるようにしてモヤモヤ考えてるとナニカ昨日と同じデジャブがゆっくりとやって来た。そうだこの状況でのモヤモヤって奴がキモなんじゃないかとそのデジャブの元となる記憶を探ってみると、80年代末期からバブルの残り香があった90年代、自分が高校生から駄目なプー太郎だった時期のモラトリアム的モヤモヤに近いんじゃねと気付いたらガシーンと頭の中で何かがハマる音がした。
そうかそうか、沖縄と石垣の空気感の違いってのはこのモラトリアムの質って辺りなんだな。沖縄のそれは戦争の記憶があったことから左派フラワーチルドレン的な70年代モラトリアムと親和性が高かったわけだけど、戦争の記憶が無い石垣では80年代のビューティフルドリーマーな消費社会型モラトリアムがはまり込みやすい状況があるっつーことなんじゃないだろうか。そう考えると全てのことが腑に落ちていく。
80年代の説明はいまさらだが、野放図な経済的繁栄を背景に何を消費(選択)するかでエライとかエラクないとかが決まっていった時代だ。いわゆるエコ的なもの、有機だとか自然食やらが定着したのも金が余ってたバブル期で、そういうものを口にしながら反逆者っぽかったり趣味人っぽかったりっていうポーズをとるのがトレンド(この言葉も死語だな)だったんだな。というかそういうのが許された時代。何か石垣がらみで登場する芸能人もそんなバブル臭い人が多いわけだけどね。で、何が言いたいのかっていうと、石垣に移住すること、そのことそのものが消費(選択)っていう側面があるんじゃないのかと。そして石垣にはそれを受け入れるような状況があるわけだ。戦争の記憶が無いままの神々の深き欲望的な流れで補助金だとか黙ってても観光客が来るっていう辺りで過去(80年代)が封じ込めたままあるみたいな。そして、その両方が惹きあってと。抱き合ってじゃないところがまた面倒なんだが。
ただ、80年代の消費社会型モラトリアムってのはビューティフルドリーマーがそうであるように当時からある種のデッドエンドが予測されていたんだよね。あの映画の中じゃラムが望んだ(ホントは夢邪鬼)友引町内での仲間内的戯れってのが崩壊するわけだけど。この辺が本当の石垣の問題なんじゃないのか。さっき言った80年代末期から90年代初頭に私的暗黒の時代を過ごしてきた自分が、こういうなんとなく石垣に漂う空気に諸星あたるよろしく「こんな夢ぶち壊して現実に帰るぞ!」ってな感じで違和感を持っちまったのもしょうがないっていうかなんというか。石垣の移住者的なものに変にこだわりが出たのもその辺だったんだろうな。島に来る前は自分の中に強くある逸脱願望と近しいものかと思ったらそうでもなかったわけだ。よしっ俺的ではあるがなんとか尻尾を掴みきったぜ。
という感じで頭の中の積み木を組み終え時間を見るとすでに夜の11時過ぎ。周りの面子もカナリ入れ替わっている。うーん、夕方五時からだからかなりのもんだな。午前中の疲れも出てきてるがスッキリしたんで良し。明日もあるっつーことで五郎氏と周りの人達に挨拶して小雨の降る中手ぬぐいを被ってホテルに帰る。個人の範疇ではあるが前日の失点を取り返せたってことで安らかに眠りに入ることができた。正しいか正しくないかじゃなく己が納得できればそれでいいのだ。ボンボンバカボンバカボンボンと。
石垣市内・美崎御嶽
朝起きると前日同様雨のち曇りのち晴れみたいな天気。今日は昼に五郎氏宅でCUE氏と共に写真撮影やらの用事がっていうことで遠出は危険ってことで、ホテルで大体の荷物や土産を送る手続きしちまってチェックアウトした後は市内の御嶽やなんかははどんな感じで残っているのかを自転車で巡ってみることにした。
で、結果を言っちゃうとやっぱり神性って部分だとなんか新興住宅地にある神社っぽい感じだったかな。それなりに大事にされているみたいだけど全体的な石垣の空気感からは断絶しているような。ただ、表通りじゃないちょっと奥まったところにあった美崎御嶽なんかには霊的な雰囲気を感じたりした。人の気配がないところにってのは皮肉だけど。後、廻ってみて面白いなと思ったのはオヤケアカハチの乱での勝利者サイドを奉ったみたいのが多いってことだね。敗者側のは無いみたいだ。本土には敗者(平将門とか)のパワーを利用する形で奉る文化もあるわけで、その辺の違いを突っ込んでいくと面白いんじゃなかろうか。

あらかた見終わった頃に竹富島に行っていたCUE氏からメールが来たので五郎氏宅へ向かうと、写真撮影があるってことで五郎氏は本業の姿で待っていた。普段酒の席オンリーで顔を合わせてるので妙な気恥ずかしさがあったりするわけだけど、本業の姿の五郎氏は普段とは違い何かどこぞの火山に指輪でも捨てに行くような戦士なんだか殉教者なんだかっていう覚悟と威厳のようなものがあった。とか感じつつ行われた写真撮影やらの内容は私的過ぎるので割愛。
終わって五郎氏は仕事ということでここでお別れということになる。自分は六時半の最終便で時間もあり、天気も安定してきた(というか暑い)ので白保を見に行ってから帰ることにする。CUE氏一家は息子シフトで自分より早い便ってことで、市内散策とのこと。
ということで、再開を約して解散。と、なんだか仕事に向かう五郎氏に当サイトにも掲げてあるハンター・S・トンプソンの言葉「ヤツが帰っていく。神の試作品の一つ。大量生産するなど考えもつかないある種の強力な突然変異。生きるには型破り過ぎ、死ぬには稀有過ぎる」という言葉を贈りたくなるような気分になりながら、別れを告げ自転車を漕ぎ出す。
石垣島・宮良川
市内から白保までの道は五郎氏によればちょっと起伏があるとのことだが、片道10キロも無いのでなんも問題ないな。早く空港に戻って追加の土産なんかも買えるだろう。東京に帰る格好なんでくそ暑い天気がネックだったが比較的順調に宮良川辺りまで。が、最後の最後っだっていうのに自転車がガリガリと当たり付きアイス棒のような音を立て始めた。昨日雨のなか散々走ったからなしょうがないお前も疲れてんだなと、やや重くなったペダルをごまかしごまかし何とか白保までたどり着く。
来た国道390号線から海へは少し離れているので、白保の集落を間を通って海に出なきゃならない。しかし、白保っていうと筑紫哲也のニュース23がサンゴだ空港だと賑やかだった頃にやたらと特集みたいの組んでて、なんだかかわいそうな人達みたいなイメージが強かったんだけど、みんな結構立派な家に住んでんじゃねえか。都内のワープワの方がよっぽどかわいそうだぞ。そいつらの稼いだ金の一部もこっち来てるわけだし。海に下りる土手の辺りは妙にゴミが多くて、あんまし大事にされて無いじゃんとブーたれながら海岸へ降りる。
石垣島・白保海岸
散々文句たれてたが、海岸の景色には圧倒された。微妙な空の色と淡い海の色のコントラストが天変地異で世界が崩壊した後の風景を思わせる。そしてあちこちに転がる岩はそれから逃れようと身を硬くする何かの繭のようだ。多分映画コクーンに出てきた宇宙人の繭からの連想だろう(なんか岩みたいなのだったよね)。この繭(コクーン)ってのは自分が石垣に抱いた心象をまとめるにはめちゃくちゃ相応しい言葉なような気がする。最後の場所としてここに来てよかったな。
映画のコクーンじゃ老人たちが繭の生命力吸っちゃったりなんかして淀長さんお気に入りの人に怒られたりしてたように思う。それに寄せて石垣は何が繭でとか誰が繭に入っててとか考えると何か新しい石垣論が出来そうな気もするが、俺は面倒くさいからいいや。とりあえず、こうやって自分の気分をキレイにまとめられたんでもう満足なんである。なんにせよ映画同様ハッピーな結末であって欲しいとは思うけどね。

というわけで、以上で石垣島探妄記はオワリ。探訪と妄想の間なんでこんなタイトルにしてみた。
最後に今回のような機会を作ってくれた五郎氏とCUE氏に感謝感謝。

写真協力:CUE氏

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