ビヤホールライオン 銀座7丁目店 ボンクラ座礁酒場

さて今回の場所はビアホールライオン・銀座七丁目店になるわけだけど、このシリーズにしては直球過ぎるのではとお思いの方も多いかもしれない。勘違いしないでもらいたいのは別にこのシリーズは嗜好がマージナル寄りなだけで、メジャーだったりスタンダードだったりするものを否定するようなスタンスでやってるわけじゃあ無いんですな。飲みに貴賤無しっつー辺りはしっかりと押さえつつも、バットマンよりはジョーカーへというか。ただ、周縁部ばかりをウロウロとしているとイマイチ中心軸のようなものがよく分からなくなってしまうというか、周縁慣れのようなものがあったりするようで、この辺りで一般における王道ってもんをかっ飛ばしておこうというのが今回のコンセプトです。
と、それっぽいことを言ってみるわけですが、実際は取材者二名が病み上がりなのでビールでサックリ済ませようという何時ものようなボンクラっぷり。自分なんかは高熱から急性胃炎で点滴という状況だったため、まだ胃の方が本調子じゃないというか座礁状態からようやく沖に出てゆるゆると航行中といった感じでございます。だったら飲むの止めろよだって?それで止められるならこんなシリーズやってないっつーの!

今回は店自体に歴史が有り過ぎるのでマクラは当然そこらとなるわけだけど、幸いその辺の詳細が描かれた開店60周年記念本を入手したのでそれを参考に“ビアホール”誕生の流れも含めズズッと触れていくことにしよう。
恵比寿ビアホール
“ビアホール”と名乗る店舗が初めて出来たのは明治32年(1899年)の銀座。八丁目の現在天ぷらの天國がある辺りに日本麦酒(恵比寿ビールを製造・販売)が直営店として開店した「恵比寿ビアホール」が最初である。その頃はちょうど日本にビールが根付き始めた頃で、シェア獲得のための宣伝的な効果を狙っての店舗設置であったらしい(そのため値段設定も低め)。実は“ビアホール”というのはそういう目的から開店時にわざわざ作った造語だそうで、ビアルームやらビアバーやらビアサロンやらと色々考えた末に何か言葉に勢いがあるってことでビアホールとなったと。それでドイツのともイギリスのとも違うものになったわけだ。
この「恵比寿ビアホール」は当たりまくって、東京中から人が押し寄せて連日超満員。途中でビールが無くなって入り口に「当日売切御免」の立て札が立つことも珍しくなかったようだ。どうも、比較的安価にビールが飲めるというのもあるが、広いホールの中で階級や貧富の差など関係なく自由な雰囲気で飲むってのが受けたらしい。
馬越恭平
その後、ビール会社のシェア争いはさらに激しくなりそれぞれ経営的にちょっとヤバイ感じになってしまう(特に日本麦酒)。と、ここで日本麦酒の経営再建に乗り込んできたのが三井物産重役で茶人としても知られていた馬越恭平。馬越はだったら競争止めちゃえばいいじゃんと、広い人脈を生かし政府の働きかけ、日本麦酒に札幌麦酒(サッポロビール前身)と大阪麦酒(アサヒビール前身)を合併し大日本麦酒株式会社を作っちゃうのである。ビールの市場占有率はなんと八割近く。こうして無理矢理に市場を安定させ“ビール王”と呼ばれるようになった馬越は当然の流れとしてビアホールをビシビシと開店(買収)し繁盛させることになるわけだが、どうも従来型(バラック建築)のやや安普請なそれのあり方には不満があったようで、より立派なビールの殿堂的な場所が銀座に欲しいと思い始めるのである。
大日本麦酒ビル
馬越よりそのビールの殿堂造りを託されたのは建築家の菅原栄蔵。菅原が設計・内装を担当した新橋見番のビルを見ての依頼であった。まだそれほど有名ではない自分への直の依頼に感動した菅原は気合を入れまくって馬越が望む建物の具現化へ万進する。菅原の設計は厳密で手間が掛かって利益が出ないと工事を落札した大倉組(後の大成建設)が逃げてしまい、二番札の竹中工務店が担当することになったり、基礎工事が終わった辺りで馬越恭平が亡くなったり(八十八歳の大往生なんだけど)、利益が出ないことを怖れた竹中工務店が大日本麦酒側に陳情し屋上のビアガーデンを無くして会議室を増築することになったりと(菅原激怒)、紆余曲折はあったものの、着工から14ヶ月後の昭和9年(1934年)の4月に一階がビアホールで2階から6階が大日本麦酒本社事務所となる(地下1階が倉庫)ビールの殿堂にふさわしいビルが完成するのである(正式名称は大日本麦酒株式会社銀座ビアホール)。
銀座ビアホール・開店当時のメニュー
この“銀座ビアホール”は年中無休で営業は午前10時半から午後11時まで。当然のようにスグに他店舗を圧して客が集まるような場所となり夕方からは何時も大混み。特に週に一度設けた「黒生ビールの日」は当時黒ビールを出す店が珍しかったこともあって大評判となったらしい。こうして「先代の金馬」と呼ばれた三代目・三遊亭金馬や戦後の講談界の立役者で最後は腹上死した(なんつー説明だ)一龍斎貞丈などの著名人や都内大学の学長などのお固いドコロの常連達も付き、同じく常連となった仕事帰りの商店員やサラリーマン達も同じ空間の中でビールを飲むというビアホールの良き伝統に沿った銀座の名物店として定着していくことになるわけだ。上は当時のメニューなんだけど随分割り切った感じなのに寿司があるってのが面白いね。リボンシトロンとナポリン(現在サッポロ)、そして三ツ矢サイダー(現在アサヒ)なんかが当時は同じ会社なんで一緒に並べられているのも面白い。
銀座ビアホール・開店当時の店員記念写真
その後、敗戦によってビアホールは進駐軍に接収されてしまう。ついでに大日本麦酒が敗戦後の財閥解体のあおりを受け日本麦酒(サッポロビール)と朝日麦酒(アサヒビール)に分割。ビルはサッポロ側が本社として引き継ぐこととなる。“銀座ビアホール”名から“ビアホールライオン”名となったのはどうも進駐軍の接収が済んでの営業再開時のようだ(戦中には“エビスビアホール”名だった頃もあるようでこの辺ややこしい)。よく知られるような名前になったのは戦後なわけだ。なお、“ライオン”ってのがどっから来たかというと精養軒が現在の銀座ライオン五丁目店の場所で営業していたカフェライオン(馬越が買収して名前は引き継ぎ)から来ている。なんでもロンドンの有名なレストランから取ったそうである。いろいろくっつけた会社だったんで由来的なもんもあっちこっちから来てるんである。
ビヤホール ライオン 銀座七丁目店 改装前の入口
さらにズズッと進んで昭和38年(1963年)には本社事務所が移転し二階から五階が店舗へ衣替え。そして昭和53年(1978年)に外観を中心に全面改装されほぼ今の店舗のカタチに。昭和54年(1979年)に運営子会社が株式会社サッポロライオンに社名変更し、現在の「ビヤホール ライオン 銀座七丁目店」となるわけだ。いやー長かったね。端折りまくりなんですいません。

まぁ世間的な意味での王道店ってのは歴史だけ見ても明らかなわけで、果たしてボンクラの琴線に触れる部分があるのかないのかってのが今回の御眼目。はてさて。
銀座中央通り
病み上がりというのにキャバクラのお姉ちゃんを逆に接待するような仕事を片付けてややグッタりとした状態で新橋に到着。すでにCUE氏は銀座に到着して近場をウロウロしているとのことで歩を早めて店へと向かう。新橋から銀座へと抜けるのは7~8年ぶりくらいである。昔は福家書店来るのによく歩いていたんだけどね。何か途中にフーターズ出来てやがるし。
ビアホールライオン 銀座7丁目店
とか言っている内に店の前に到着。見ての通り一階部分は昭和54年の大改装でかなり見た目が変わっている。なお、自分はこの時点で上記の本を入手してはおらず、建物は建て替えられたもので内装は移築したものだと思い込んでいた(恐らく五丁目店の建て替えとごちゃごちゃになっていたものと思われる)。確かに後から写真を見ると一階から上が昔と同じってのが分かるね。
建物を眺めつつ周りをちょっとウロウロとして見るがCUE氏の姿が見えない。どこぞの店でも覗いているのかと思ったら、ちょうど席が埋まりそうだったんで店の中に居るとメールが。というわけでなんか仕事から直行便といった感じでご入店となったわけである。
ビアホールライオン 銀座7丁目店 店内
実はこの7丁目店には酒を飲めるようになった頃に一度だけ来た記憶があるんだが上ですでに間違えているように映像的な辺りはボンヤリとしか覚えていない。ただ入ってみるとなんとなく店内が明るくなった印象がある。以前来た頃の精神状態からの暗いイメージってのもあるんだろうが、多分家具とかが明るい色になっているような気がする。七夕過ぎたのにお飾りがあるし。
ビアホールライオン 銀座7丁目店 ガラスモザイク
とか考えながら真っ直ぐ進んでいくとCUE氏が人であふれる店内のど真ん中辺りに銃座のように席を確保していた。店の奥にドーンとあるガラスモザイクがよく見える。このモザイクの図案は菅原が自ら考え、それまでの輸入ではなく日本人の手で作れないかと、あちこちの職人を探したりとナカナカの苦労の末にどうにかしたモノであるらしい。なお、女性達の背景にある工場っぽい建物は大日本麦酒恵比寿工場(現恵比寿ガーデンプレイス)である。
ビアホールライオン 銀座7丁目店 ビール
CUE氏は店に入る前に銀座熊本館を覗いていた(主にくまもん)そうだが、そこで勝手にぶち当たってきて謝罪を求めるという隣国外交女子に絡まれていたそうで、ムシムシした陽気が原因なんだろうかと思ったりするが、誰彼かまわず噛み付くようになるよりは、まだテメエの体調が悪いほうがマシだよな。
席につき当然のように先ずはビールを注文。と、食い物はとメニューを見てみるが種類がチト多すぎる。なんかよく分からん韓流メニューもあったりなんかして老舗の割に節操がないというか。一応「定番」って書かれたものもあるんだけど正直なんというかコレってのが無い。結局、悩んだ末にCUE氏主導で油物系を中心に、というお互いの体調の悪さを棚に上げまくりで何時ものようなボンクラモードで攻めてみるということになった。結局、何時もと変わんねええええええ。
んなわけで、とりあえずとビールをグビリと胃に流し込むと奥のほうでちっちゃい人が「ごめんねごめんね」と言っているのが聞こえたような気がするので酒は控えめにすることにする。
ビアホールライオン 銀座7丁目店 張り紙
今の体調じゃしょうがあんめいとツマミが来るまで店内を眺めてみると、自分の向いの柱に「祝・七十八周年」なんてのが貼られている。しかし、まぁこの東京でよくぞ残った(残した)もんだと思う。時代に合わなくなりゃあ、フランク・ロイド・ライトの建築だろうが何だんだろうが潰しちまうのが江戸の頃から続くこの街の流儀だ。何か教会を連想させる造りに御利益でもあったのかなとも思うが、サッポロの方も客の方も切れずにこの場所を必要としてきたっつーことだろう。
ビアホールライオン 銀座7丁目店 天井
ライトが出てきたついでに言うと菅原栄蔵は“ライト風”で知られた建築家であったらしく(本人は嫌がっていたそうな)、確かにこのビアホールの過剰なデコラティブさ何かはなんとなくそんな雰囲気がある。だが、ライトが大谷石のような柔らかい石を多く使用したのに対して、このビアホールはわざわざ瀬戸で焼かせた二種類のタイル(柱の緑色のものと天井等のくすんだ赤)が内装の中心になっており、この辺りが菅原の個性だったんじゃないのってのが藤森照信曰く。
ビアホールライオン 銀座7丁目店 チキンバスケット
なんか間違えて違うもんが運ばれてきた後、待望のアブラもんがやってきた。ビールのお供的「王道」ってことでチキンバスケットである。そういや日本で最初にチキンバスケットを出した店ってのは銀座だったな(銀座キャンベルだったか)。早速ツマンでみるが正直ちょっと固いというか、まぁ“普通”だね。ただ、面白いのが一緒に入っているポテトが揚げたもんじゃなく同じサッポログループ(ファインフーズ)が出してる「ポテかるっ」なのだ。なんだろう商品の宣伝ってわりにはどっかに明記されてるわけじゃないし健康志向ってやつか。困ったことに体調悪いもんで美味いんでやんの。
ビアホールライオン 銀座7丁目店 塩えんどう豆
そして、一緒に来た塩えんどう豆が結構よろしい。思いの外ビールに合う。美味い美味いと摘んでると、空いた隣の席に案内されて来た金融系風人種ミックスグループが座ると同時に全員一心不乱にブラックベリー(みんな同機種)をイジり始めた。怖ええよ。このグループ、追加白人が来たらすぐに出ていってしまったので、どうも待ち合わせ場所としての利用であったらしい。この辺、毎度おなじみなオッサンシフトと違い客層がイマイチ定まらないので掴みどころというか、引き寄せ方がチト難しい。明らかにお上りさん風の人達なんかも居るしね。
かといって自分達の琴線に触れる人間が居ないのかっていうとそういうわけでもなく、CUE氏が便所で出くわした蝶の標本採集でもすんのかというサファリルックの岸田森のような謎オヤジレアポケモンも生息していたりする。ただ、普段のこのシリーズじゃまず見ることのない対極の有閑マダムグループがグホホホとか笑いながら群れていたりして、こうした良くも悪くも雑把な辺りを好む人ってのがここの客層っつーことだろうね。そう考えるとメニューがややカオスってのも銀座にあるビアホールの良き伝統っつーことなんだろうな。
ちなみに便所の作りには菅原栄蔵はあんまし興味がなかったらしく店の規模からすると妙に狭い(なので、どうも改装予定とのこと)。
ビアホールライオン 銀座7丁目店 よく分からんオブジェ
厨房があるモザイク画下のカウンター中央にはホール長と思われる車だん吉と平泉成を足して二で割ったようなオッサンが店内全体を見渡している。その横には料理長らしきオッサンも同じくシブイ顔で店内と料理をチェック。こういうのは見ていてイイね。まぁこうして気合の入った人達がいる一方、黄色いTシャツ姿の若いウェイター・ウェイトレスが店に全然思い入れ無さそうなのがまたイイ。この際だから一階だけ衣装もメニューも開店当初のまんまにしちゃえばいいのにね。単に雑把なよりは良さ気とは思うんだが、こういうイマイチ店が大事にされてんだがされてないんだかって辺りは元々サッポロじゃなく「恵比寿」のだったって辺りが影響してんのかな。
ビアホールライオン 銀座7丁目店 串揚げ
体調悪いっつーのにアブラもんを追加注文で串揚げにカツサンド。普段よりヘビーじゃねえか。正直アブラもん以外これっちゅーのが無いってのもあるんだけどね。
ビアホールライオン 銀座7丁目店 オリジナルソース
串揚げの方を早速カブリついてみるがこれもチト固い。どうもこの店は揚げ物を強く揚げちゃうのが特徴のようだね。どうも揚げ物は万世ベースで考えちゃうんで、どうしても比べちゃうんである。ここで使っていたソースがオリジナルだと気づく。ドロリとした感じでスパイス風味が強くこれはこれで良し。
ビアホールライオン 銀座7丁目店 カツサンド
カツサンドはトーストで挟んだもの。こっちにも「ポテかるっ」が付いてきている。押されてるな。
と、流石にこの辺で腹もいっぱいになって、ちっちゃい人を誤魔化しながら飲んでたビールもようやく飲みきった。なんかズルっとした終わり方だけど、まぁ今回はこんなとこでしょうか。
銀座の路面
外に出るとポツポツと雨が降り出しており、路面がしっとりと濡れている。なんとなくこの湿り具合が今回の感想やや近かったりするわけだけど、今回店に入る前から座礁気味だったとはいえ、「王道」への期待が大きすぎた分も含め、店やらの話じゃなく何か建物探訪みたいな内容になっちゃったな。CUE氏が「引っ掛かりが無い」みたいな話もあったんだが、そのとおりで食い物やら何やら岩壁を登るため取っ掛かりのようなもんが見つかんなかったというか、なんというか。特に食い物方面が塩えんどう豆から広がらなかったんだな。これが「王道」っつーなら、俺達の方がナウシカにオッサン共が群れる闇へ帰れ!って言われちゃうんだが、まぁ今回は体調面がアレ過ぎだったんで、これで評価を下すわけにもいかんので何れ再戦せにゃ、ということで以上。

写真協力:CUE氏

ビヤホールライオン 銀座7丁目店
住所:東京都中央区銀座7-9-20 銀座ライオンビル 1F
電話:03-3571-2590
営業時間:
月曜日から土曜日 11:30~23:00
日曜日・祝日 11:30~22:30

東京都中央区銀座7丁目9−20

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