ニュー新橋ビル 「喫茶室 ポワ」 カフェブックマーク

またぞろの新橋。しかもニュー新橋ビルと来たら、まずは闇市話から始めるのがいいだろう。

さて、以前に同じくニュー新橋ビルの店を取り上げた時、マクラとして新橋事件を松田組視点で眺めてみたんだけど、やはり逆っ側の“三国人”視点でもやらんと公平性が無いんじゃないかなということで、イロイロと探して出てきたのがこの本である。林歳徳・著『抗日天命 ある台湾人の記録』。“抗日天命”って時点で公平性ないんじゃ無いんじゃね。と、お思いのあなた。正解です!なんだけど、コレはこれで面白い記述もあったりするので、チョイとお付き合いよろしく。

すでに、本のタイトルで分かっちゃってるんだが、新橋事件(とそれに続く渋谷事件)での“三国人”ってのは在日台湾人(旧台湾省民)のことである。終戦直後は在日朝鮮人よりもこっちの方が元気だったのは駐日代表団が一本化していたというのが大きいんだろう、と思う。多分。
新橋の闇市 その一
その辺はともかく、普段から“日本人の戦争犯罪”を断罪するピースな方々が持ち上げるカタチで出版された本であるので焼け跡の時代のことも「敗戦直後の台湾人、朝鮮人に対する日本政府による弾圧と追放政策の実態について」という視点で書かれていて、実際どうだったんじゃろという辺りが非常に分かりにくい、というか著者個人の怨念方面へ収斂して行き過ぎなのでチットも分からなかったりする。当時はGHQが統治してたんじゃねえの、という突っ込みもなんのその、そういう日本政府の差別政策にGHQは“迎合“していたのだ、と力強く断言しちゃってたりして。
新橋の闇市 そのニ
そんなわけで、自分達には都合の悪いことは“政治的”に一切書かれて無いので、ある意味ヤクザ賛美的な焼け跡本よりも始末が悪い内容だったりするわけなんだが、読むトコロは無いのかというとそういうわけでもなく、連合国からの配給プラス生活のため以下のように商売を始めたという部分~

そのころの知り合いに、大阪の鶴橋からいろいろなものを仕入れてきては売りさばく朝鮮人がいた。
私もそれをまねて、新橋駅周辺にあった焼け跡の闇市で商売を始めてみた。今の新橋鳥森口の桜田小学校の脇で、私はゴム長靴をならべて売り始めた。台湾人は連合国の一員ということで連合国車両に乗って大阪に行けたから、仕入れは容易だった。当時の日本の列車には、10両に1両の連合国専用の車両があり、これには連合国の人間しか乗れなかったのである。
長靴は仕入れるだけどんどん売れた。当時の私たちは、税金も取られなかった。だからお金がどんどんたまった。

と、松田組視点の本にある三国人サイドが「日本人の商品が売れなくなってしまうので、マブネタ(上記のような“戦勝国民”特権で手に入れられる禁制品)は扱わない」という約束を守ろうとしなかったという抗争の元である部分を認めちゃってるわけなんだな。その後(松田組視点だと)、三国人サイドは建設が始まったマーケットにも“禁制品”を武器に強引に割り込もうとして、警察も交えての話し合いやGHQの解決案も無視して抗争に至る、というわけだが、このように結局のところは三国人サイドから眺めてみても何人がどうだって話ではなく、飯を食うための窮民同志のギリギリの争いがあったということだけが残るのである。著者は末端過ぎて全体をよー知らんだけなのだ。
闇市を覗きに来た進駐軍兵士
この頃のこういう“抗争”やらにふれるような本には大体3つのパターンが有り、一つが進駐軍視点。欧米系のジャーナリストは大概コレかな。それから、上記のような三国人サイドと連帯しての「平和勢力」視点。まぁこれは説明の必要ないよね。そして最後にアウトロー視点。アナーキーな立場コミでそっちの肩を持つロマン主義って奴ですな。
当時のことは基本は当然ながら一番上に乗っかっていたGHQに帰するってことになっちゃうんだが、余りそれを前面に出すと、欧米系ジャーナリストはそれじゃ自国で受けそうなチョイと蔑視が入った日本特殊論を語れないし、「平和勢力」は“日本”の責任を問えなくなっちゃう、アウトローはアメリカ様の庇護の元大きく育つことができましたじゃ沽券に関わるしってことで、みなさまそのまんまは語れないのである。しかも、受け手側も自分の嗜好にあったところだけをツマムのでさらにややこしくなる。政治的では無いヤクザの手柄話がちっとは信用できるってくらいでね。何が言いたいのかっていうと、本当のことってのは羅生門じゃないけど大概多面体なので、いろんな角度から見てみる事が必要なんだねって、ナンカえらくまともな結論。個人的には“事実”なんて面白く見える角度にゴザひいて酒飲みながら、ってのが一番だと思うんだけどね。
警察に捕まる闇屋
新橋事件の大本である渋谷でのゴタゴタってのはいずれそっちに行った時にどうにかせんとイカンだろうけど、今回は新橋闇市の立役者“カッパの松”こと松田義一にちょっとふれておきたい。関東松田組を率いていたってのもあり、単純に“ヤクザの親分”として語られることが多いわけなんだけど、果たして筋目のヤクザであったのかというと、ちょっと微妙だからだ。というのも、松田義一は広義的には任侠の人と言っていいが、出自的には“ぐれん隊”上がりの人なんである。
“カッパの松”ってのも三田から芝神明、そして愛宕から新橋辺りまでをシマにしていた硬派不良時代から芝プール(下の写真)で鳴らして、後にそこで指導員をするくらいに泳ぎが上手かったことから来ているらしい。全然ヤクザっぽい異名じゃないのだ。前回紹介した写真だとエラくオッサンに見えるが、死亡時の年齢は三十六歳で、そんなに老けちゃいないのだ。
芝のプール
“ぐれん隊”が「ぐれる」から来ているなんてのは今更説明の必要は無いと思うが、ハッキリとこの“ぐれん隊”という不良集団が現れるようになるのは関東大震災後だという。当時のヤクザ組織は今のように大同団結はせず、小さなシマを押さえての小規模経営がほとんどだったわけだが、震災の被害がヒドかったところではシマごと組織が焼失してしまったりして、その空白地帯で不良集団が跳梁跋扈できるようになったってのが始まりらしい。こういう不良集団の伸長に関しては川端康成が『浅草紅団』でファンタジックに書いたように、当時は新たに現れた風俗として結構注目されたりしている。
闇取引をやめよう!啓蒙車
といってもあくまで不良は不良でヤクザ組織が復活してくれば当然のように足下に置かれてしまうわけで、彼らが取って代わるということはありえなかった。が、敗戦がそれを全てを変える。日本全体がケチョンケチョンにやられたわけで、それはヤクザも同様。何しろ勢力の基礎となる“兵隊”がホントの戦争でほとんど居なくなっちゃったってことで(さらに既存組織へはGHQの目も厳しかった)、その代わりとして前衛に立つことになったのが“ぐれん隊”である。松田義一が終戦後すぐに“兵隊”を集めることができたのも不良時代の人脈があったからで、動きの取れない古手の組織に渡りをつけるカタチで(松田組の後援をしていたのは以前紹介した波木量次郎)、こういった既存のヤクザと違う原理、モラルをもった人間たちが焼け跡に勢力を伸ばして行った、ってのはこの手の映画を散々見ているボンクラにはお馴染みの話だろう。彼らが“戦後ヤクザ”となっていくわけである。
昭和34年の新橋駅西口広場
松田義一も任侠へのこだわりってのはそれほど無かったようで、マーケット成立後は興行、土建などの事業にも手を伸ばし、それが成功したら松田組を解散して会社化することを考えていたようで、生き延びていたらニュー新橋ビルに胸像でも置かれていたんじゃないかな。と、こういうドライな面がある一方で、三国人との抗争で前面に立つといった愛国心なのか郷土愛なのかよく分からないものを共有していたのが“ぐれん隊”の特徴(全てではない)で、新橋事件(と渋谷事件)には万年東一、安藤昇といった有名ドコロも参加している。
こういった“ぐれん隊”の実際、というかヤヤコシさ関しても何れしっかりと突っ込み入れなきゃならんだろうけど、いい加減長くなってきたので、今回のマクラはこんなところで。
新橋駅西口広場
というわけで新橋である。ニュー新橋ビルである。実は今回のお店、土日祝日休みってことで平日の御訪問なんである。となれば、当然のように真昼間のニュー新橋ビルはどうなっておるのかって辺りに突っ込まなきゃイケない。なお、今回の写真には参考的な使い方として結構前のものも混じっていたりしますのでよろしく。
新橋のサボリーマン その一
いやー居るわ居るわ外のタバココーナーにリーマン共が。というか、お前ら仕事してんのか、というくらいにリーマンがウロウロしている。真昼間でもこんななのね。営業周りの拠点があるわけじゃないだろうしなぁ。
ニュー新橋ビル
と、広場方面へ行くと何か入口が新しくなっている。なんか違和感あるな…。とにかく中へと入って行くと確かに一階はリーマンゾーンと言ってしまって良い。ラーメン屋などの各種食い物屋に並ぶ中年リーマン、紳士服の青山で安ワイシャツを漁る壮年リーマン、漢方系薬局で店員に質問する初老リーマンなど、まさしくオヤジな年齢層を中心とするリーマン見本市だ。
新橋の路上大盤将棋
が、上に上がっていくとオヤジを超えたジジイばっかりなのだ。完全に隠居ゾーン。二階の「メッサジドデスカ」でジイ様方がちゃんと揉まれているんである。疲れなのか回春なのかは知らんが。更に上に上がっていくともうサンクチュアリ状態。囲碁教室やクリニックなど、ジジイ以外にウロついちゃイケないような雰囲気が漂っている。全然オヤジビルじゃねえ。というか、このジーサン達、ニュー新橋ビルが出来た頃から更新されていないんじゃね。以前、休日にビル前で路上大盤将棋をやってて、こういうのまだやってるのかとビックリしたんだけど、メンツは同じだろう。
ニュー新橋ビルの漢方薬の店
どうも世間的には、というか自分も勘違いしていたのだがこのニュー新橋ビル。単純に“オヤジビル”なんじゃなくてジジイがもう一つ上に層になっているのだ。すでにオヤジを卒業して(つまり定年で引退して)しまった人間たちも受け入れる懐の深さがあるようなんである。なるほど、妙な居心地の良さってのはここらに起因しているんじゃないかね。ベースはオヤジだとしても。
ニュー新橋ビルの地下居酒屋
ちょっと前に新橋でCUE氏と飲んだ時にちょうど入社、および部署移転した人間を連れ回る時期だったこともあり、エラク普通なというか健全な若人が街に溢れていて、ここ新橋か?と心配してしまったんだけど、それはあくまで新橋の奥深さっつーことなんだろう。
ニュー新橋ビル リーマンの背中
それはそれとして、まだまだ加齢臭のハードルはしっかりとあり、そう簡単にお手軽な場所へ移行していくことは無さそうだ。まだしばらくはオッサンの背中が似合う街でいて欲しいしねぇ。
ニュー新橋ビルのゲーセン
ゲーセンもサボリーマンもオッサンばっかり。上の画像にオッサンが隠れていますって、何かウォーリーを探せ状態だな。
「喫茶室 ポワ」ショーウィンドウ
さて、今回の「喫茶室 ポワ」はそのサボリーマンが憩うゲーセン、ジジイが揉まれるメッサジ店の奥にある。本場の中国語が飛び交う中、メッサジの勧誘を受けつつ、何度か角を曲がると店に到着。この「喫茶室 ポワ」、平日の夜にでも来ようと何度かトライしたんだけど、どういうわけか何時来ても掲示されている営業時間よりも早く終わっちゃってて紹介することが出来なかったんである。どうもこの辺あくまで昼間のオヤジシフトで、終了時間はルーズであるようなので気をつけよう。入口の食品サンプルが省エネなのか何故か暗いまんまなんだが、よく見てみるとナカナカに色がくすんでおり、いかにもな感じで大変よろしい。どうでもいいけど、クリームソーダのサンプルは古くなるとみんなオレンジになっちゃうのね。その横にある「暴力団排除宣言の店」のシールが、このビルの歴史を考えると何か味わい深い。
「喫茶室 ポワ」店内 その一
入店すると見事にオッサンが多い。若干商売が謎なソロ男性が混じっているというのもお約束である。それらにチーフと思われるウエイトレスさんが闊達な感じで対応している(他のウエイターさんもやわらかい対応)。なるほど、これはオッサンに受けるだろう。テキトウなテーブルに座ると、横のテーブルのオッサン(高木ブー風味)がコーラを注いだところで力尽きたのかぐっすり寝入っている。多分炭酸抜けちゃってるな。こういうのが見られるのがこういう喫茶店のイイトコロである。
「喫茶室 ポワ」健康応援
とりあえず暑かったんでクリームソーダを注文(またか)。と、テーブルをみるとここにも健康がそれなりに衰えてきているオッサンを気遣ってか、野菜ジュースのメニューがあったりする。しかし、こういうの結構なお値段なのね。
「喫茶室 ポワ」店内 その二
内装は茶系を中心に落ち着いた感じ。照明もカナリ落としてあるようで、それを受けての何か無印のマクラカバーを思わせる椅子もシンプルで目にやさしい。木彫りの象など謎のインテリアもあるが、これもこの手の喫茶店ではお約束だろう。全体的には昭和の頃の高級風俗店の待合ような雰囲気にまとまっている。どんなんだよ。
「喫茶室 ポワ」ピンク電話
レジの横にはダイヤルを回す式のピンク電話がある(正式名称は特殊簡易公衆電話というらしい)のもなんかそれっぽい。現役なのは久しぶりに見たな。使用するオッサン居るんだろうか。メッサジ帰りっぽいジイ様も居ないわけじゃないので必要だから置いているだろうけど。
「喫茶室 ポワ」クリームソーダ
とか周りを眺めているうちにクリームソーダがやってくる。真っ赤なチェリーも眩しいオーソドックス過ぎるタイプである。見た目ちょい薄めかなと思ったらそうでもなかった。寸胴のグラスだったため、飲み進めた後にスプーン抜こうとするとアイスが落っこちそうになって苦労した。この辺、クリームソーダ食いの醍醐味でもある部分なので仕方がないんだが。なお、このポワ(この名前、某宗教団体が事件を起こした時はオヤジギャグが炸裂したんじゃなかろうか)、ナポリタンが有名らしいけど他で散々紹介されているのでその辺はどっかで見て下さい。
「喫茶室 ポワ」コーヒー
別途、コーヒーもたのんでみたが、それなりに結構なお味。店の名前の“ポワ”ってのもフランス語の豆から来ているそうだ。
「喫茶室 ポワ」店内 その三
アマーイもんを体内にブチ込み脳味噌がやや落ち着いたトコロでもう一度店内を確認すると、どうもオッサン達はリーマンというよりも自営業が多いような気がする。自分の裏なんかは何か店舗の建設計画を巡って、オッサン共が白熱どころか、納期や資金に関してちょっとシビアな言い合いになっており、聞いているだけで胃が痛くなってくるような感じだ。よくある事務所の延長として使っているんだろうね。必要ないのに喫茶店で打ち合わせしたがるオッサンとか結構居るからねえ。小さい会社だとシビアな会話を他に聞かれたくないっつーのもあるんだろうけど。
個人的注目点はこの手の喫茶店に必須である居心地の良さである。寝ているオッサンなんかが居るように、とんがった声が聞こえてくることは先ず無い、というか、そういうのの発生源である賽の河原の石積みのようにしゃべり続ける複数女性客、ボリューム目盛がぶっ壊れたマイウェイなオッサンが居ないんである。裏のオッサン共の緊迫した会話も、内容はともかく音量なんかは淡々としたもんで、他のテーブルにまで刺さってくるようなもんではない。商売人だからその辺は心得ているんだろう。ちょっと前に久しぶりにオッサン向けの床屋(顔剃りなんかがあるやつ)で髪を切ってみたんだけど、全く同じ雰囲気だった。基本、他の会話は聞こえてこないのだ。休日なんかはまた違う雰囲気があるんだろうけど、この事務所の延長として使えるサロン的なって辺りは狙っても出せないもんだろう。客層も関係あるわけだからね。当然ながら、その代償なのか特典なのかで店内はタバコフリーなわけだけど。
ニュー新橋ビル アダルトショップ
いろいろと納得したところで金を払って外に出ると、斜め向こうにあるアダルト店のガチャガチャが思いっきり目に入ってくる(撮ったんだけど内容的に載せられないので、店舗全景を)。うーん、コリャ若い女性にゃキツイな。アダルトショップじゃない方からも店に入れるけど、結構なオヤジバリアだと思う。光子力研究所か。
喫茶室 ポワ
というわけで、この「喫茶室 ポア」。ただ入って見るならともかく、常連として馴染んで行くにはちょいとしたハードルがしっかりとあるという実に新橋らしい喫茶店であった。馴染んだ頃にはあなたもオッサンってのは良いのか悪いのか知らんけど、少なくとも新橋は未だオヤジ共がメイン・ストリートのならず者としてブイブイ言わせる街であり、彼らよろしくダイスを回してみたいという若人は、居酒屋なんかではなく、まずこの店に来てみるのが良いんじゃないだろうか。

喫茶室 ポワ
東京都港区新橋2-16-1 ニュー新橋ビル 2F
電話:03-3580-3764
定休日:土日祝
営業時間:10:00~21:30(終了時間はマチマチ)
最寄り駅:JR「新橋」駅

東京都港区新橋2丁目16−1

帰りに「カトレア」を覗いたら平日昼間は普通に繁昌しているようで、こちらも安心。
ニュー新橋ビル「カトレア」

カフェブックマーク一覧

“新橋事件”の続いての“渋谷事件”に関しては以下を。
渋谷 西村總本店「道玄坂フルーツパーラー」 カフェブックマーク 

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