9月の末に遅い夏休みを取ることになり、またぞろ適当な感じでどこぞへと行こうかと考えたんだが、適当すぎてもヤマなしオチなしイミなしというBL小説のようになってしまうんじゃないかっつーことで、だったら昔のRPGよろしくラスボスだけそれなりに設定しておけばどうにかなるんじゃね、と思ったわけなんだね。で、今回その役目を引き受けていただくのは源頼朝なんである。何で?また、というか、なにそれというのは当然の疑問としてあるかと思うので説明しよう。
元々この“源頼朝”というおっさん、どうもイメージが掴みづらいところがある。まぁ日本の政治構造物を作った人ってのは徳川家康や大久保利通もそうだが、定形として“花”がある人間を好む日本人気質からすると、特殊過ぎて典型化できないって辺りで、モノガタリになっちゃうと損な役回りを引き受けさせられる場合が多く、当然のように引き締まった人間像とは言いがたいってパターンが多いのである。実際どうだったかはともかくね。特に、頼朝には義経って輝ける弟が身内としており、その逆ってことで陰々滅々といったイメージが強い。
だっつーのに、最近ではこの時代の見直しがどんどこ進んじゃっており、鎌倉幕府成立が“いい国(1192年)”じゃなくなったってのは、イロイロと書かれているので知っている人も多いだろうけど、実はあの歴史教科書なんかで散々見た頼朝の有名な坐像も、ホントは他人なんじゃね、とか言われちゃってるのだ。基本、脳内でイメージを掴むことを重要視している人間(自分)からすると、非常に困るのである。ってことで、どっかでもう一度オレ的“頼朝像”を掴み直したいと思っていたのだ。
千葉県館山市洲崎1697
で、ドコイクの?ってなるんだが、それは館山市なんである。千葉のね。
鎌倉、もしくは三浦半島(あるいは伊豆)なんじゃねーのとお思いでしょうが、実は頼朝は治承4年(1180年)に挙兵したのはいいけど石橋山の戦いでボロ負け。山中逃亡の後に船で安房国に逃れている。んで、上陸したのは今の安房勝山辺り。しかし、地元の野郎どもがとっとと味方してくれるかと思ったらそうでもなく、しょうがないんでそいつらにはとりあえず使者を送って、自身は何故か南へずんずんと向かって、つまり現在の館山市に入って~房総半島の端っこにある洲崎神社に詣っているのである。
言ってみれば、頼朝が一番ヤバかった時期だ。多分気分的に。ってことで、何でわざわざそこ行ったの?って辺り含め、そんときの気分を知れば何か掴めるんじゃないかと思うのだ。実際、その洲崎神社に行ってみてね。まぁ、コレをラスボスとして設定しておけば、後は適当でどうにかなるだろう。といった具合を、大体ご理解いただけましたかね。
しかし、この館山。都内から電車で片道3時間くらいはかかる。そこから更に岬の先にある神社だ。流石に日帰りはキビシイってことで、まず宿を確保しなくちゃいけない。
ということで、どうせなら神社の近くに泊まろうかと、一番近い民宿に電話をしてみたところ、当日は台風(予定日前日に台風が房総沖を通過という予報だった)が過ぎたばかりなので、その日は無理ですよ、お客さん~とかいって何故か異様なくらいに泊めない方向に持って行こうとする。この時点でこっちの泊まる気ゼロだったが、面白いので食い下がってみたところ、どうも台風に合わせてテレビ局が中継に来るかもしれないので、他の客は面倒臭いということらしい。基本その辺の民宿は釣り客相手らしいけど、自分はそれでもないしね。ともかく、当日の風には要注意だな。
で、岬の先に~というのは取り止め、館山駅近くのシングル専用ホテルに部屋を確保。一人旅はこういうトコの方が、しがらみが無く、イロイロと楽で良い。こうして旧来の商店街よろしく、常連のみを大事にする、昔ながらの民宿は客を減らしていくのである。よく分からない一人客(オレ)を警戒すんのは分かるんだけどね。
で、そろそろ、そんなことを計画していたことを忘れはじめてボンヤリとした頃に当日となる。早起きしてとっとと駅へとなるんだが、今回の移動ブツは基本自転車。電車に乗り込むためには、駅まで行ってから自転車を畳まにゃならんのだ。自分は休日だが世間様は思いっきりの通勤時間である。ということで混んでいると思われる最寄り駅を避け、チトズレた駅から乗車することにする。そのズレた駅ってのは総武線・平井駅。そんなでもない混み具合に安心。コレならそこらで自転車バラしてても迷惑じゃない。
ということで、自転車を畳むわけだが、まぁ上の写真のような感じになる。こうしないと電車に乗せてくんないのである。久しぶりなのでエライ手間取った。正直、都心ではこの手の自転車乗ってるヤツ(キッチリファッションほどダメ)にろくなヤツが居ないのと(で、一緒にされるのや嫌だ)、タクシーに殺されかねない(実際、数回引っ掛けられた)ので乗る機会が減っていたのである。身体的な調整も全くしていないので、どうなることやら。
総武線千葉行きは当然のように空いている。通勤とは逆だからね。でも、ガラガラといったわけでもない。まぁ千葉方面に通勤・通学の人も居るだろうしな。その千葉まではチバってる風景を見ながら30分ほどで到着。で、内房線へ乗り換えっつーことになるんだが、千葉駅構内全体が工事中で中が迷宮状態。工事するにも、もうちょっとどうにかならんかったのか。
工事している人に聞いて(やはりイロイロあるのか非常に申し訳なさそうであった)、自転車を担いで何とか内房線ホームへたどり着くと、すでに電車が発車待ちしていたのでとっとと乗り込む。車両的には余り面白みは無い。しかし、流石にディープ千葉へ向かう電車ということで客層もそんな感じであり(平日なんだけどね)、若い女性の8割茶髪、その半数スウェットといった感じ。やはり千葉市から先は違うようだ。プラス年配の行楽客がチラホラ。これはどこ行っても居るが。
走り始めるとしばらくは海沿いの工業地帯を眺めつつといった感じで、煙突博覧会状態である。そしてどうしようもない駅前とかエグい色のラブホテルとか。まぁヤンキーゾーンだね。さっきの茶髪スウェットの方々が降りていくし。こういった風景は首都圏どこらでも見れるような景色なので、持ってきた本を片手に適当に眺めて行く。
その景色も富津岬から南に入ると明らかに違ってくる。東京湾(と三浦半島)が見えてくるとズルズルと牧歌的というか“田舎”になっていくのだ。なんだか無人駅も増えてくるし。こうなってくると面白い。しかし、思ってたよりも三浦半島の方が見えるのね。
途中の浜金谷駅でフェリーが見えたりして。そういやコレで三浦半島行けるんだな。昔トップギアで使っていたのを見たことがある。暇な時、意味なく公共機関で東京湾一周とかできるな。とか、どーしようもないこと考えているうちに館山に着いてしまった。うーむ。流石に2時間半だから、もうちょっと厭きるかと思って、かなり昔に読んだ頼朝本いくつか持ってきたのにほとんど開かなんだ。寝る前にでも読むか。
到着した館山駅自体はありがちな駅舎なんで、まぁどうでもいい。しかし、最近建てられた駅舎の引っ掛かりの無さはなんなんだろう。引っ掛かるのは、そこで売ってる駅弁である。今回、観光的な意味での下調べはほとんどしてこなかったが、唯一メシ関係のことだけは調べてきたのだ。
駅舎の軒下といった場所(東口)にある簡易店舗(食堂にもなっている)で売ってる「くじら弁当」である。相田みつを風の小うるさいラーメン屋とか居酒屋にあるようなコピーがアレだが、“館山名物”だとか“貴重な味わい”とか書かれちゃうと食わないわけにはいかない。
早速頼むと7~8分待ってほしいと言われる。作り置きじゃないのね。コッチ的には自転車組み立てるのに丁度良いやとなったけど、電車に乗る前に買う人なんかは気を付けた方が良いだろうね。
で、受け取って早速食いたいトコロなんだが、駅前の往来で食うわけにも行かないので海岸に出ることにする。宿もそっちなんで確認も兼ねってことで。
流石に9月の終わりの平日なんで人は全く居ない。湘南辺りのサザン的なアホっぽい明るさもなく(海沿いにそういう店もあるが失敗してる)、かと言って湘南乃風的なモヒカン臭もなく、八代亜紀ナンカが流れていて違和感のない風景である。同じく東京にぶら下がった半島って言っても違うもんだ。どちらかというと自分の生まれ育った埼玉僻地の土人風味に近しいものもあり、やや懐かしくはある。どちらにせよ反知性的であることは変わりないんだが。
海岸に出るとお誂え向きの桟橋があったのでそこで食うことにする。
弁当のパッケージは先ほど見た看板そのまんまである。これから食われるっつーのにくじらの満面の笑みが悲しい。でも、シンプルさではなかなかなデザインだと思う。箱が経木なのも良し。
開けてみると黒い、黒すぎる。一応といった感じで真ん中に玉子そぼろと紅しょうがの帯があるが、茶色ならともかく、ここまで黒い駅弁ってのも珍しいだろう。元々の鯨肉の色もあるけど、調理法も揚げ物別にすれば醤油系の煮込みが多いからね。それにしても、これだけ鯨使って1000円ってのは安いんじゃないか。
で、味はというと特有の臭みは全く気にならず非常にナカナカ良い。なんだろう、都内の居酒屋なんかと違って調理的にこなれてるってのがあるんだろうか。あるいは新鮮さか。甘じょっぱくて飯が非常に進む。大和煮と肉そぼろのバランスの宜しい。ただ、作り置きじゃなく温かいので、やや駅弁感には欠けるかな。肉も温かいんで美味しいんだけどね。もしかすると、冷えると臭みが出てくるとかあるのかもしれない。
程よく腹が膨れたところで、すぐ近所の宿を見に行くことにする。自転車に乗るまでもなく、一分もかからずに到着。民宿やらが集まり、道の先には海が見える一角。夏には海水浴客が泊まって賑わっているのかもしれないが、今は閑散としている。
で、肝心のホテルは~マンションって感じではあるが、まぁ普通な感じで安心。多分部屋によっては海が見えるんだろうと思う。結構結構。ホテルの前には震災観音(関東大震災時)とかいうのがあったりして。なんでも館山だけでも1206名亡くなったんだとか。エライ遠くに来たように感じてしまうが、やはり“向かい”に来ただけなんだよな。
宿を見てしまえば後は自由時間だと、再度駅の方へ向かおうとすると、ホテルのあった旅館街の隣りは思いっきりのスナック街。渚銀座商店街とか言うらしく、看板もあるんだが、その広さにちょっと驚く。“通り”ではなく、街一区画って感じだ。港町は大概この手の場所がしっかりとしている、というかむやみにデカかったりするんだけど、館山もそうなんだな。
しかし、間が歯抜けのように駐車場になっていたりして、正直かなり廃れている。規模が出かかった分、この辺りの物悲しさが強めに出てしまっているようだ。汚すぎて写真は撮らなかったが、中にある公園の脇がゴミだらけになっており、何でかなとしばらくウロウロしてみると、韓国系・中華系の店がやたらとあるのに気づく。恐らく全体的に街が落ち込んで、日本人が店を閉じた後にソチラの方々が乗り込んできたのであろう。都内もそういう店増えたけど、あのゴミのルール無用っぷりを見るとほとんど乗っ取られているんじゃないの、ここ。地回りさんらしき建物もあったが、これほっといているってことは、やる気無いんだろうね。この街、自衛隊の基地もあるわけで、情報漏えい的な国防方面も気になるような状況である。なるほど、こういった現状があって漏れていくのね。西川口もこんな感じだしなぁ。眺める分には面白いけど。
といった状況を見てしまったこともあり、一日目は観光込みで館山をパトロールすることにする。残念ながらヌンチャクは持っていないんだけど。いつも通りの行き当たりばったりで、ラスボスは一切関係が、それは明日と。身体出来てないのにガリガリと走るのも何だしな。
で、一旦駅に戻り、町のメインストリームを走ってみるが、シャッター通りにはなっていないんだど、とにかく人が歩いて居ない。だっつーのに、やたらと車は走っている。前々から千葉県民(というか埼玉、グンマー、栃木、茨城も似たようなもんだが)は車に頼りすぎだろと思っていたんだけど、ここも同じくそうであるようだ。そりゃー街も落ち込むわな。無いと生活できないってのも分けるけど。
その辺で変な味が出ているってトコロもあるんだけどね。
ともかく、街の景気状況が分かったところで、まずは城に行ってみることにする。里見氏改易後に廃城になってはいるんだけど、一応のランドマークだし、他に何か分かろうってなもんだ。市の博物館もあるようだし。
駅から館山城までは2kmほど。車を避けつつ15分ほどで到着。と、城前まで来ると神社があったので入ってみることにする。今回ラスボスが神社なので、押さえたくなるのである。
しかし、入ってみると随分ツルンとした神社だなと思って由来を見ると、関東大震災で被害(倒壊)の出た神社をまとめたものだとある。城下だから歴史があるとおもったら結構新しいのだ。しかし、この辺りの震災被害ってほとんど語られることがないんで、実際来てみないと分からないトコロではある。都内よりもよっぽど震源地近いわけだし。
社殿前に“元禄“って入った手水鉢を発見。丁度、海運的にこの街によく金が落ちた頃のものだ。他にあるもんもそっち方面のものが多い。震災前にはイロイロ残っていたんだろうね。
ピックアップするようなものはソレくらいしかないので、とっとと天守方面へ。小山の上なのでナカナカ上がるのがキツイ。それにしても誰も居ないな。健脚の年寄りが散歩しているくらいだ。土日はもうちょっと観光客とかが来るのだろうか。
天守はインチキ(要するに模擬)ものなんだが、それなりに景色にはマッチしている。なんでも八犬伝博物館とやらになっているので、一応入ってみると受付をしている人が暇で自殺しそうな風情。ようやく来た客(オレ)にエライ丁寧な対応で申し訳なくなりながら、そのまま奥へと進む。
展示物は本当に八犬伝ものしかない。角川映画版の資料もあったりして。どうも市内にも「里見氏の歴史を大河ドラマに!」なんてポスターがあったが、どうも街としての押しドコロがそこしかないようなんである。しかし、流石に房総半島だけでご活躍の里見氏を大河ドラマにすんのは難しいんじゃないかね。
天守からの眺めは流石によろしい。先の方には三浦半島も見える。右手には館山市中心部、左手には自衛隊の館山航空基地が見える。しかし、城を貸し切り状態でこうやって景色をみるってのも妙な気分である。何か寂しい気分に移行してきたので、さっさと切り上げてしまったり。
この後、山を降りる途中にある館山市博物館にも寄ってみたが、同じく貸し切り。驚いたのが歴史資料が思いっきりの里見氏中心という極端さである。いい加減、それしか無いんかと言いたくなる。確かに里見氏転封(後に嗣子ナシで大名としては滅亡)の後は分割されまくっちゃったので、パッとしないのは分かるんだけど。
この博物館・天守含めの入場券で戦争史跡である「赤山地下壕」とやらにも入れるらしいのでそちらに行くことにする。地下壕に向かう道は明日ラスボスへと向かう道でもあるので丁度いい。その岬への古い道なんで、何やら味のある店がチョロチョロとある。
「安心して買える店」なんてのもあったが、この街は安心して魚も買えないのか。
地下壕入り口の受付に行くとオバサン職員にアラと言った感じに対応される。やはり平日にわざわざ訪れる人間は珍しいらしい。と、ヘルメットと懐中電灯を渡される。そんなヤバイとこなのと思ったら一応のものらしい。ヘルメットは自転車用のをすでにかぶっているので懐中電灯だけ受け取る。
で、ずんずんと地下壕入り口へ向かうとしっかしとした説明板が。ちゃんと読んでみると「全国的に見ても大きい」ものらしい。元埼玉県人的には吉見百穴の地下壕を思い出したりするが、それよりも総延長的にかなり大きいようだ。
入ってみるとエライしっかりとした造りで、崩れて一部しか公開してない吉見百穴とは大違いだ。房総石は鋸山のなんかが有名だが、建材にも使えるもんだし、百穴辺りの崩れやすい砂岩とは違うっつーことか。そういや百穴に崩れちゃったホテルあったな。
近づいてみるとしっかりと手掘りの跡が分かる。戦争中とはいえ、よく掘ったもんだ。
さらに奥に進んでいくと格子状に掘ってあるのでリアルウィザードリーといった感じである。なお、結構明るいように見えるが、感度の高いレンズでとっているからこうなっているんで、実際はかなり暗い。ランプが仄かに、といった明るさだ。心霊方面への耐性がある自分でも白塗りの小川真由美が追っかけてくるんじゃないかとか考えちゃうような暗さである。まして貸し切り状態だし。ソッチ方面に敏感な人はキビシイ場所と言えるかな。肉眼では分からなかったけど、写真で見てみるとしっかりと地層が見えるのね。
すっかりショーケンな気分となって地下壕を出る。しかし、ショーケンになれるよって薦め方じゃ人来ないよな。ともかく、これで一応の観光ポイントは押さえたってことにして、純粋なパトロールに移行することにする。と、市の中心部へと戻る途中、道の脇にあるデカイ岩をくり抜くように階段があり、その上に鳥居が見えるので、とりあえず登ってみることにする。
登ったトコロに家があるのでちょっとびっくり。社家じゃなくて“守”の家なのかな。こういう寺とか墓とか含めての“守”の家って80年代にほぼ消えたと思っていたが。奥にもう一段階段があり、その上に社殿がある。
こじんまりと極普通の造りだけど、彫刻がエライしっかりとしている。というか、北斎が「神奈川沖浪裏」でパクったことでも有名な彫刻家の“波の伊八”も安房の人だったりするわけで、江戸末期には何故かここらからソッチの名人が結構出ているのだ。そういった関係で、ここらの祭りで出てくる神輿や山車なんかにも立派な彫刻が付いているそう。ここのはその中の一人であるところの後藤義光~の弟子の人が彫ったものらしい。
横手を見ると英訳もしっかりとある由来書が。読んでみると、この神社は平安期にここ安房国で善政を敷いた「国司」を祀ったものだとか。そりゃ珍しい。
なんでも、その国司が任期が終わって京都に戻る時、安房の人達が別れを惜しんで、帰国船に乗り込もうとする国司の袖を掴んで放さなかったと。ではと、記念にとその袖を与えて京都へ帰っていったんだけど、京都に帰ってから数年で亡くなってしまう。それを聞いた安房国の人々が追慕の余り、もらった袖をご神体に神社を建てたっつーことらしい。んなもんで、ここの祭りの山車は(帰国船に見立てて)舟型だとか。
というか、ちゃんと里見以外の歴史もあるじゃないの。ともかく、逆に言うとこういう国司が珍しかったということでもある。後に国司から「受領」に移行しても私腹を肥やすの当たり前なのは変わらず、といった辺りは“武士”の誕生にも大きく関わっているわけで、明日のラスボスとも関係ある話である。というか、源流に居るところの平将門(下総)とか平忠常(上総)とかっていう人達は基本今の千葉の人なわけだしね。うーん、ここは登ってみて正解だった。
そのまま市内中心部へと戻ってきて、まず向かうのは地元密着型のスーパーである。その土地独自の食い物の調査のため、地方に行った時は必ず行くことにしているのだ。というわけで、南房総に広がるスーパーチェーン「おどや」の館山海岸店へと向かう。館山港に最も近いスーパーでもある。
と、入ってウロウロしてみるものの、惣菜やらなんかは極普通で都内のスーパーと変わらない(野菜安いけど)。が、鮮魚コーナーに行ったら、あるわあるわ。足が早いので漁師町じゃないと見かけないウマズラにトビウオ。捌く技術が無いと買えないイナダ丸ごと等。そして、なんといってもツチクジラである。多分、房総半島の逆っかわにある和田漁港(捕鯨基地がある)から来ているんだろうけど、こういうのを見ると、この辺りが駅弁だけじゃなく日常的に鯨を食う文化があるっつーのがよく分かる。“鯨のたれ”なんかが有名だけどね。しかし、値段を見るとやっぱりくじら弁当は勉強しているんだね。
地元密着はよく分かったので、ついでに“ではない”のも見たくなる。館山駅到着前に車窓から見えたイオンモールだ。海沿いを道なりにそれほどの距離ではないしね。
まぁイオンモールなんてどこも同じようなもんなんだが、平日なんで人が少なく、やや寂れた風情があって悪くない。で、中を見てみると予想通りに見事に金太郎飴。他と全く変わらん。しかも、さっき見た特殊鮮魚も全然無い。なんだろう、扱うものを平準化するっていう方針でもあんだろうか。なるほど、こういうのを見ると商店街なんかだけではない文化含めての地域社会の破壊なんていうことを言われちゃうのも分からんでもない。車社会なんで全部こういった店で済んじゃうんだろうな。丁度イオンの仕入れに関してはイロイロと書かれている時でもあり、イオンの惣菜はマズイなんて噂も聞いたので、ホテルに入る前にもう一度来て夕飯はここで買うことにする。男はマズイものを食わねばならぬときがあるのである。
まぁ、飯のことは調べたってのはサッキ書いたと思ったが、どうも惹かれる店も無く、また館山は寿司が名物らしいんだけど、観光地の寿司なんて、どこ行ってもロクナモンじゃないので、どうせだからマズイもん食っておこうと。
と、街の中心部に戻ろうとすると、イオンのすぐ裏が鶴谷八幡宮なのだった。説明の必要もないと思うが、八幡神は源氏の氏神ってことで、武士に大変崇敬された神様だ。ということで頼朝も来たんじゃね?と思ってしまうが、元々この神社は安房国の総社(国司が祭祀を行う神社で、アチコチ行かなくて済むようにその国の神様がまとめてある)で、八幡宮になったのは武家政権になってからである(“鶴谷”の名前なったのは昭和になってかららしい)。律令制が吹っ飛んで、衣替えをしたわけだ。先ほどの“国司”神社とは続き物のようになっているのである。
その後、里見家、徳川家と武家に大事にされたってことで敷地含めて結構立派である。祭りも地元では「やわたんまち」と呼ばれるかなり規模がデカイ~10万人くらいの人が集まるものであるらしい。
参道もしっかりしており、脇には何やら日露戦争関連の記念碑が多いが、要するに街で一等エライ神社っつーことだろう。頼朝もここで良かったんじゃね?と思ったりするんだが。
何故かここの狛犬は悪役顔である。
社殿はやはり関東大震災時に倒壊してしまっての再建らしい(社殿裏の本殿は無事だった)。
しかし、彫刻やらは無事だったらしく、その辺はしっかりと元通りに出来たそうだ。これは国司神社でで紹介した後藤義光(本人)が彫ったものということで、流石にビキッとした彫りである。それにしても総社だけに、社殿周りには末社的なものがたくさんある。安房国一宮の安房神社のもあるんだそうだが、何か整然としすぎていて特に探さずに去る。どうも真っ当なのはツマラナイのだ。
一応、ここで“一宮”について説明しておくが、ざっくりと言うとその国で一番社格が高い神社。律令制下では国司が総社で集めたもんのなかで、最初にお参りをする神社のことである。ラスボスの洲崎神社も“一宮”を名乗っていたりするんだけど、これは自称なんだとか。
神社を出てから、なんとなく街の中心地の方へ向かっていると閑静なといっていい住宅街に迷い込む。道端に異様なと言った感じの保存樹があるので、よく見ると説明板があり、津波の時にこの木に登って助かった的な話が紹介されている。というか、地震絡みの話多いね。神奈川はともかく、あんまりこっちの被害が語られることって無いんだよな。
そのまま周辺をウロウロしてみると、閑静なはずなのにやたらと居酒屋みたいな店が混じっているのに気づく。というか看板がアチコチにあるから目に入っちゃうんだよ。渚銀座が荒れてしまったので、分散でもしたのだろうか。それとも、地方の楽しみといえば酒と女とパチンコ(どうも国道沿いにあるようだ)っつー辺りでの元々のものなのか。
どうもアチラコチラにスナックがあったような場所がいくつかあったんで、元々のもののようだ。結局、西川口的な方向にって考えたのは間違っていなかったようである。バブル前までは街中が飲み屋だらけだったんだろうな。奥にあるぶら下がり健康器が泣けるね。
さらにパトロールを続けようとするとが、もう夕方ってことで街中が車で渋滞してきて(軽がやたらと多い)、流石に面倒臭くなり、とっととイオンでマズイ飯買ってホテルに入っちゃうことにする。
イオンで適当な飯を買ってホテルへ。と、ここで自転車を部屋に入れるために輪行よろしくバラさないと、と入り口付近で前輪を外していると、ホテルの人が出てきて「お泊りの方ですか?スタンドお貸ししますので、そのままで大丈夫ですよ。」と言われる。今までコレ、結構やってるんだけど、こういった対応は初めてだ。ありがたく受けると、ロビー前にスタンドで置くようなカタチとなった。ロビーには誰か居るから盗まれないっつーことで、比較的大きなホテルがやっていないサービスをシングル専門ホテルがやってるってのは面白い。自転車の客結構来るんだろうか。民宿じゃなくて良かった。そういう客だって分かってから邪険にされるのも気分が悪いからね。
清潔感も高めで、廊下にラッセン(多分)が飾られているのも気にならず、対応含めて非常に気に入った。また館山来る機会があったらここにしよう。
部屋にはいると、海に沈む夕日が窓からガッツリと見えるのでしばらく眺めてしまう。どうも海から程遠い関東平野のど真ん中辺りで育ったので、こういう景色を見るとアンビバレントな気分になってしまうのである。ついでに水曜ロードショーのOPを思い出したりして。
明日はコレとは逆。朝日と共に出発なので、とっとと寝るのだ。んなわけで、買ってきた飯をガシガシ食うわけだけど、トロ鉄火が見事にマズい。しかし、今日の締めくくりとしては、何か妙に納得のいくもので、変に胸に満たされるものがあるのだった。
さて、飯がマズイで終わるのはなんだが、今回はコレでオシマイなんである。一日目はホントに適当だった。大したことでもないのに長くなっちゃったので、二回に分けるのだ。忘れちゃうので、早いうちに出そうかと思いますのでよろしく。