ウィザードリィというゲームを御存知だろうか。
1980年代初期に発売されて以降、多くのゲーム機にてプレイされ続けられたRPGである。ドラクエも製作時には参考にされたこのゲーム、世界観の視覚化だけでなくオンラインのRPGで他者とのコミュニーケーションが容易になった現在では、間違いなくRPGの古典のうちに入るであろう。
今回は、この『ウィザードリィⅡ』のノベライズ、『風よ、龍に届いているか』を取り上げる。(御存知でない方は、wikiを参考に。https://bit.ly/eoUusr そつのない内容で信用は置ける)
迷宮を舞台にした物語である。そこに冒険者たちが現れる。登場人物である。ある王国が度重なる天変地異で危機に瀕しており、それを救う鍵となる宝珠が迷宮に隠されている。これが背景である。
当のゲームでは内容について言及されるのが以上の事のみである。延々と無限に続く殺風景な回廊と、モンスターのヴィジュアル以外に画面に示されるのは、言葉少ないテキストぐらいだ。
このゲームの大きな特徴のひとつに、キャラクターの作成がある。名前、性格、種族、肉体的かつ精神的特性の決定を詳細に行い、その特性に見合った職業を選ぶ。顔も造形すらもない数値と記号だけのキャラでパーティを組み、深い迷宮の旅に出る。
提示されるものは何もない。もちろん宝珠を発見することでクリア、となるが、特にこれといって何か感動的なフィナーレが用意されているわけでもない。綿密なシナリオがあるわけでもない。したがって、プレイヤーはひたすら迷宮を進んでいくしかない。
これは、つまりプレイヤー自身が紡ぐ物語である。希薄な物語背景と設定であるがゆえに、迷宮を進むに従い、プレイヤーのイマジーネーションはより濃密になっていく。
ベニ―松山著の『風よ、龍に届いているか』は、著者であるプレイヤーのイマジーネーションが結実した世界といっても過言ではない。が、そこには他人のプレイしているゲームを傍から覗き見しているような決まりの悪い自己性はない。透明感のある、時に女性的ともいえる文章によって紡がれるその物語は、現実の世界でも起こりえる普遍的なものだ。
舞台は剣と魔法とモンスターの世界だが、いかに現実世界からかけ離れているとはいえ、自然の圧倒的な暴力の前に人々はなすすべもなく組み伏せられ、愛する者の突然の死と強い悲しみ、行き場のない憤りと無力感に苛まれていくのである。それはいかなる剣の達人であろうと、強大な呪文を唱えられる魔法使いであろうと、同じく然り、なのである。
『風よ、龍に届いているか』はカタストロフィからの再起の物語である。主人公達は知恵とそれぞれの特性を活かし、難局を乗り越え、亡国の危機に瀕した王国を救おうと決死の冒険に挑む。ある者は斃れ、生き残った者はそれによって更なる非情な選択に迫られる。
用意されたラストは、ファンタジーであるがゆえの大団円ともとらえられるかもしれない。しかし、長い冒険の果てに主人公達は大きく成長し、更なる旅へそれぞれ歩みだす結末は、ファンタジーであるからこその感動が込められている。
最後に想像も絶する大震災と原発事故において、被災された方々へのお悔やみと被災地の速やかなる復興を願い、ここに筆を置く。