“復讐”は冷たいほど、うまい食事だ。ー ジョン・W・クリーシー(1956~2003)
世の中には独自の常識を携えて生きている(棲息している、と表現したほうが当たっている)人々は、少なからずいて、陳腐な言い回しだが、この瞬間でもわたし達のすぐそばにいても少しもおかしくはない。彼らは驚くほど世間的で、人付き合いもよく、常に笑みを絶やさず快活なジョークを飛ばし、時に相手のすべてを受け入れてくれる牧師のような鷹揚さを見せる。しかし、実際はそうではない。彼らに世間一般の常識はまったく通用しない。他人を掌握し、行動を管理し、その財産や生命までも貪りつくす。精神医学的には、こういった人格障害をもつ人々を“サイコパス”と呼ぶ。
園子温×高橋ヨシキ『冷たい熱帯魚』は、過去に発生した数々の殺人事件をモチーフした犯罪活劇で、血なまぐさいのに笑いをこらえることのできないという決まりの悪さ抜群の傑作コメディである。熊谷の愛犬家連続殺人事件が物語の底流にあるのは明白である。劇中の渡辺哲の役柄が「顧問弁護士」というより、実在の事件における同じ殺しの利幅を貪る「暴力団幹部」のような既視感があるのは偶然であろうか。その「暴力団幹部」も劇中と同様、筋弛緩剤ストリキニーネ(らしき栄養ドリンク)によって毒殺されてしまう。犯罪に詳しい好事家的な観客はここで並行宇宙と思しき限りなくリアルに近いフィクションに脳殺されてしまうのだ。
時に事実は遥かに虚構を凌駕する。それは日本人であればあるほど、2011年3月11日時点において多くの共通体験であろう。
ここに一冊の文庫がある。新潮社の記者がまとめた恐るべきルポである。その名は『凶悪』。
死刑宣告を受けたある元暴力団組長が、立件されていない数件の殺人について告白した。未だ警察の介入を受けていない事件を、獄中から依頼を受け一人の雑誌記者が調査し、取材事実を誌面に展開したことから警察や多くのマスコミを巻き込んだ騒動に発展する。殺人と強盗致死による死刑囚の元暴力団組長は、ある男を告発する。男は多額の負債を抱えた行き場のない人間の死後、その資産を整理するいわば“整理屋”である。が、男の周りであまりに多くの人間が失踪や自殺を繰り返す事実が浮き彫りになる。つまり、男が何らかの手段で過去のある人々を集めて「消し」去り、その資産をカネに換えているのではないかということだ。殺しの走狗であった告発者は死を待つ獄中から唄う。あの神隠しは自分がやった、と。
これはかつて凶暴で鳴らした殺人も厭わないヤクザと、人の死を巧みにカネに換える“先生”と異名を持つ死の錬金術師の対決の物語である。いずれも感情移入の余地のないけだものどもの暗闘。復讐。地獄の道連れといえば、誰にでも言える。しかし、サイコパスの内部の深淵など明確に誰が洞察できようか。例えば三池崇史監督作品『殺し屋1』のラストがそうであるように、狂気のなせる業に理由はつけられないのだ。そして、それが我々を戦慄せしめ、生きる事の実在を模索せしめるのである。