「たった今、検視官から連絡があった」<中略>
「銃弾の種類は?」
「38口径のナイクラッド・セミワッドカッター弾らしい」
「何だって」<中略>
「ええ、どうやら警官が射殺したようです」
(NYPDブルー,シーズン2:「訣別」より一部、抜粋)
ナイクラッド・セミワッドカッター。弾丸の形状を示す名称のひとつである。たとえば他に有名なのが、スタンリー・キューブリック監督作の同名映画タイトルのフルメタルジャケットもそうだ。ナイクラッド・セミワッドカッターの弾丸構成は、頻繁に射撃訓練を行う警官の鉛毒被害防止のため、発砲時に鉛が飛散しないようにナイロン樹脂で弾頭をコーティングされている。この銃弾は80~90年代当時、米国の法執行機関の官給品であり、警察官の常備弾だった。また一般販売もされていたこの弾丸は、樹脂加工されることで貫通性が高まり、米警官が装備するケプラー線維による防弾チョッキを容易に貫通することから、かえって“警官殺し(コップ・キラー)”の異名を持つ弾丸だった。
この弾丸を製造する企業は官製品としてだけでなく民間にも供給・販売していたので、警官の殉職が多発し、警察OBがロビー活動を行い販売禁止になった経緯があり、現在アメリカではほぼ入手不可能となっているらしい。
冒頭に挙げた警察ドラマ『NYPDブルー』では、ポン引き射殺事件で被害者の身体から摘出された弾丸を巡って、犯人が警察官であるという事実を捜査班が突き止めたシーンの台詞の抜粋である。ドラマ放映当時の92年頃、民間での販売が規制されたこの弾丸を使用できるのは、現職警官だけであるという背景から描かれたストーリーなのだろう。
1995年3月30日朝、東京都墨田区のマンションで警察庁長官が狙撃された。使用された弾丸の口径は.357マグナム、形状はナイクラッド・セミワッドカッター・タイプのホロー・ポイント弾(弾頭の形状が内側にへこんだもの)だ。貫通性の高い被甲性がありながら、体内到達時に射入点から甚大な組織破壊を引き起こす、非常に致死性の高い特殊な弾丸だった。この強力な銃弾を三発も受けた被害者は当然ながら瀕死の重傷を負ったが、緊急搬送された病院での長時間にわたるオペと超人的な被害者の生命力の結果、奇跡的に死を免れ、その命は救われた。
約十五メートル範囲の連続した銃撃、確実な発砲による被弾、犯行の手際の良さから銃の扱いに慣れた人物の仕業とされ、警視庁公安部が指揮を執る捜査本部はその後、あるひとりの容疑者を逮捕する。
その容疑者とは、現職の警視庁警察官だった。
おりしもその年の3月20日、オウム真理教による地下鉄サリン事件が発生し、世情は無差別テロの恐怖に騒然としていた時代である。
本書はあまりも有名なテロ事件でありながら2010年3月に事実上迷宮入りした警察官僚テロ事件を読み解くと同時に、ある犯罪者の数奇な半生を追ったノンフィクションである。
殺人未遂等の罪で拘留された警察官は、公安部の徹底した取り調べにおいて供述が右往左往し、内容確認のできない曖昧な告白を繰り返し、「オウム真理教による狙撃テロ」として立件を進めたい捜査本部の姿勢をもろくも挫いた。また、犯行に使われた銃も発見に至らず、物証の確定、共犯と目されたオウム幹部の関与否定から、捜査は完全に行き詰まる。
それから、数年の時を経て、ある男が登場する。
戦後、共産主義の地下活動に関わった東大生がいる。
彼は国家転覆の資金源獲得のために数々のペニシリン強奪や車両窃盗を重ねる。逮捕され大学中退後は違法銃器所持と銀行強盗を繰り返し、その過程で警官を射殺して服役。服役中チェ・ゲバラに傾倒し、出所後北米や中米に渡航し銃器の取扱と射撃訓練に従事。日本国内で独自のテロ部隊を設立するため、武器密輸を行い、同志を募るも、計画は頓挫。それでも少ない同志たちと地下活動を行う。だが、その時すでに70歳の老齢に達していた男は今後の蓄えを目的で、リチャード・スタークの犯罪小説のような数々の武装強盗を行い、2002年11月、名古屋での現金輸送車襲撃事件で現行犯逮捕される。
そして、その老いた武装強盗犯が塀の中から週刊新潮のスクープをきっかけに1995年3月30日に東京都墨田区のマンションで発生した警察庁長官狙撃事件について自供を始めたのだった。
メル・ギブソン、ダニー・グローバー主演の『リーサル・ウェポン3』で、元警察官がロス市警の押収倉庫から銃器と弾丸を盗んで密売を行い、市内で起きたその凶器による銃撃から弾丸鑑定で前述と同様な“コップ・キラー”だと判断するシーンがある。
「<略>なにしろテフロン加工や、ナイロン樹脂のおかげで貫通力が凄まじく、防弾チョッキを突き通してしまう。被弾した警察官の殉職が相次いだため、警察OBがロビー活動展開して、政治家に働きかけ、販売禁止にしたんだよ」(本書抜粋 p223)
映画上映時の92年は、ちょうどナイクラッド・セミワッドカッター弾は販売・製造中止にあった時期にあたる。劇中設定のロス市警の押収倉庫には、おそらく警官の殉職を未然に防ぐことを理由に別件捜査で押収・回収された大量の“コップ・キラー”が眠っていたのではないか(虚構じみた破天荒な捜査活動を現実に行うロス市警ならあり得ることだ)。
なお、映画ではこの銃弾で前途有望な新米警官が防弾チョッキ越しにギャングに射殺されて死亡する。
本書に詳述されている科警研と科捜研共同チームの綿密な血の滲むような検査資料では、弾丸の特定がなされ、かつ使用されたと思われる拳銃がいくつか挙げられている。中でも幾度となく重ねられた実射実験の結果から、銃の口径と弾丸の直径の差が僅差でありそれゆえに命中率の高い銃、当時“拳銃のキャディラック”と呼ばれたコルト・パイソン.357マグナムが一番の可能性が高い事が指摘されている。
『ミリタリー・イラストレイテッド4:世界の拳銃』(編著:ワールド・フォトプレス.光文社.1984)からの引用で、同銃についての解説を抜粋すると、
「1955年に誕生したコルト・パイソンは仕上げの良さと力強い外観が魅力となっている。ピストルとしては珍しいベンチレーテッドリブ(筆者注:発砲時の熱を放熱冷却するための銃腔上部に付けられた穴)が付けられ、これが1つのシンボルマークになっている。もう1つの特徴は、銃身の下につけられた錘(おもり)である。<中略>実際に射撃を行う場合、反動を抑えてくれるという働きを持っている。
コルト・パイソンに使われる実包は.357マグナム弾と呼ばれるもので、非常に強力なものだ。必要以上のパワーを持つ実包であることから、アメリカのポリス・オフィサーたちも使わなくなりつつある。しかし、一般人には人気のある実包だけに、コルト・パイソン自体の人気は下がることはない。どのお店でもよく売れる、誰もが手に入れたいリボルバーなのである」
警察長官狙撃事件の最重要容疑者と当局に目された老強盗犯は、ロサンゼルス郡サウス・ゲート市の銃砲店で1987年、8インチ・バレル(約20センチ)のコルト・パイソン.357を購入したと供述した。米・西海岸を活動拠点にしていた老強盗犯は、「どのお店でもよく売れる、誰もが手に入れたいリボルバー」をDIYの量販店で工具を買うように手にしたのであろう。8年後、東京都墨田区のマンション内敷地でこの長大な銃身の拳銃で、致死性が高くかつ同銃に最も適したナイクラッド・セミワッドカッタータイプのホロー・ポイント弾によって被害者を狙撃。これが事実なら、必殺を目的としたプロの周到な計画が銃器の準備、取扱からも窺い知れる。
男の名前は中村泰。東大理二在籍のインテリ。十代の頃から学業は優秀、膨大な書物を読み、機械に通じ、語学も英語、中国語、スペイン語が堪能。戦中は両親の仕事で抗日運動の盛んな大連や奉天などで少年時代を送り、拳銃を枕元に忍ばせる日々だった。東大入学後は共産党の地下活動に関わり機関紙にも投稿を寄せ、学生運動時には警察と衝突したこともあった。
「次第に『一般市民を苦しめる為政者と、その手先となる官憲は敵』との考えに凝り固まり、武器を手にした暴力革命を志向していた」「《戦後の混迷する日本から脱出して南米に渡り新天地に活路を見出そうと考え、その資金を獲得》しようと考える」(本書抜粋)
東大生時代に当時貴重であった抗生物質ペニシリンや高級外車の窃盗を行い、逮捕。大学は放校、出所後は金庫錠関連の書物を読み、金庫破りの技術を独自に習得、関東中の金融会社に忍び込み、数々の重犯罪窃盗を重ねる。略奪したカネは米軍基地の横流しで入手できるカービン銃やピストルの購入のために使った。その最中、三鷹市で職質を掛けてきた警察官(当時22歳)を射殺する。
「<略>中村はこの警察官の胸部に向け、銃弾を2発、発射。倒れたところをなお蘇生しないよう、こめかみ近くに拳銃をつきつけて、頭部にとどめの1発を撃ち込んだのである。残虐かつ冷酷な犯行というしかなかった」(本書抜粋)
本格的なガン・アクションに定評のあるマイケル・マン監督作『コラテラル』(2004・米)の劇中にもほぼ同様な銃撃シーンがある。トム・クルーズ扮する主人公の殺し屋がダブル・タップ(連続して二発撃つ)という射撃で胸・腹部を撃って強盗を倒し、とどめの一発を頭に撃ち込むのだ。ダブル・タップは.45口径のようなマン・ストピッングパワーの強い大口径の拳銃ではなく、それより小さな38口径や9ミリの拳銃で行われる射撃テクニックで、警察官が抵抗する容疑者確保を行うためのものだ。クルーズの使用しているHK USPは.45口径のように見えるが、これが確かならダブル・タップの上の頭部破壊の一発は確実に殺人を実行するプロを表現するための恐るべきリアルな演出といえる。
しかるに中村による警官射殺事件はコンバット・シューティングに長けたプロとしか思えない手練だ。本書では明かされていないが、おそらく銃器を入手した時期から人里離れた山奥で入念な戦闘訓練を行っていたに違いない(大藪春彦著の『野獣死すべし』にも近似した警官射殺事件が描かれているが、同事件をモデルにしたかは定かではない)。
知能指数が高く、ケタ外れの知識素養と技術力と行動力を持つ<コップ・キラー>は前述した通り、いびつな反権力思想に囚われている。明らかに同時代の連続射殺魔・永山則夫と同等に扱うべき凶悪な犯罪者だが、約20年の刑期を服した後、出所。そして渡米。獄中ゲバラに傾倒した男は、ニカラグアの革命闘争に参加しようとして現地革命政府の混乱を目の当たりにして挫折。変わって、日本国内での民兵組織設立のために大量の武器を巧妙な手段で密輸した。
この民兵組織に関しては、
「(略)この民兵組織は一個分隊程度の精鋭少数集団のイメージ。特異な重大事件や、非常事態の発生時に軍や警察などは政治的配慮、法的制約(中略)即応できない場合がありうるので、それに代わって迅速果敢に行動し、事態を打開する小武装部隊には存在意義があるというのが基本的理念でした」(本書抜粋,P280)
精密機械輸入の幽霊会社を設立し、アメリカから機械部品の中に分解した銃器を巧みに隠蔽し、大量の武器を日本国内に密輸した。機械工学の知識とテクニックのなせる業である。
また、ここで瞠目すべき事実が上がる。
「<略>実は私は敗戦直後の時期に橘氏(筆者注:5・15事件に東京変電所爆破テロを実行した橘孝三郎のこと)の愛郷塾に在籍したことがありまして、いわば門下生でもあったのです。<中略>しかし、同氏<筆者注:橘孝三郎のこと>は五・一五事件では民間側のリーダーでしたから、軍側の行動隊の三上卓海軍中尉とは同志でったわけです。その関係で、「新原農場」と改称した塾へもときどき顔を見せていましたので、私も面識がありました。その三上氏こそ、〇〇○○氏(右翼の論客で、行動力にも富む大物。故人――原著ママ:引用)が師と仰いでいて「〇○○」(この大物右翼が会長を務めた団体――原著ママ)の名付け親にもなった人物でしたから、それが機縁となって、○○と肚を割った話を交わす真柄になったのです」
本書では、その後中村はその右翼の大物に、日本での有事の際の国内不安における民兵組織の立ち上げを企画し、その責任者として自分を売り込んだのだが、その大物は自分の健康を理由にその申し出を断ったという(その後、間もなくしてその大物は病死)。
こうなってくると、この中村という人物の造詣が何が何だかわからなくなってくる。テロ欲というものが仮にあって(『蒼ざめた馬』や『テロリスト群像』の著者で、社会革命党の闘士ボリス・サヴィンコフのように思想云々関係なくひたすらテロにのめり込むあけすけさといおうか)、ゴリゴリの右翼思想かと思えば反権力の左翼思想に転向し、あげく思想なき武装革命の夢想に取り憑かれ、警察関係者の命を脅かし、そして武装強盗を繰り返すという心理は、ひとりの人間が三百人近くの人間を殺したといわれる米の殺人鬼ヘンリー・ルーカスや、ブロンド美人への性的嗜好を持ち合わせているのに、結果として小児性愛殺人者になり近年死刑に処された宮崎勤と同様な不可解な奇怪性が浮かび上がる。
本書は多くの混乱と謎に包まれている。全てはある老人の口から述べられたストーリーに基づいている。事件を追った本書の筆者も中村泰というひとりの老人の大いなる虚妄に取り憑かれ、その狂熱に浮かされたように思える。そして、さらに言及すべきはこの文章を綴る自分自身も同様な熱に浮かされ、身近な右翼関係者にその言質の確認を求めたことである。本書を読んだその関係者は一言、わたしに言った。
「この記者、そいつの口車に乗せられただけじゃないのかい?」
そうなのかもしれない。それは路上にゴミのように転がる多くのゴシップや陰謀史観と同様である。
点として存在する事実を、ある天才的な邪悪な語り手の誘導によって線につなぎ、線を立体化することで、揺るぎない世界を構築した感情を抱く。
結局はなにもわからないのだ。1995年に警察のトップが銃撃された事件については、警視庁公安部、刑事部、東京地検特捜部までもが懸命に捜査を行った上で、19年近く経た今でも真相が明らかになっていないというのは、そういうことなのかもしれない。
ただ、最後に本書について、かの銃撃事件に関してオウム真理教が引き起こした非情な狂騒の中で、難解にからみあった糸をほぐすような捜査関係者の決死の捜査とそれを追う記者の熱い記録であることは間違いない。それは大いなる虚妄だったのかもしれないが、事件解決という目標に一縷の希望を賭けた人々の様は並ある犯罪フィクションをはるかに凌駕したものである。