夜汽車の中、トレンチコートを着たハードボイルド風の男が弁当を食い始める。
ただ食うのではない。男はにとって弁当とは「ご飯とおかずのせめぎ合い」であり、その崩れそうになる均衡を制御しつつ最後の一口までバランスよく食いきる真剣勝負なのである。双方の陣容を見渡し、綿密な攻略プランを立てた上で攻め込んだ男であったが、思わぬ誤算が発生する。おかずの塩ジャケが思っていたよりも甘口だったのだ。しかし、そこは男も弁当食いのプロ、残ったひとくちカツを軸に作戦を練り直して鋭く攻め込んでいく。が、カツを口に入れた男を最大の悲劇が襲う。カツだと思っていたそれはタマネギフライだったんである。完全に勝負に敗れ、打ちのめされた男を乗せ夜汽車は去っていく。
中島らもがエッセイで大きく取り上げ、傑作と絶賛したこの「夜行」(現在『かっこいいスキヤキ』に収録)がガロに掲載されてから30年。今回取り上げる『食の軍師』でトレンチコート男が何度目かの復活を果したわけですが、伝統芸能並みの見事さで一ミリも進歩していません。男は30年前と同じように、意味不明なダンディズムを土台にしたこだわりを武器にさまざまな「食」へ戦いを挑みますが、毎回その過剰な自意識に足をすくわれ、悲しく敗れていきます。日本に生まれたならば「食」に対する意味のよく分からないこだわりは多かれ少なかれ誰にでもあるわけで、これは30年前どころか江戸時代から変わってはいません。読者はそのこだわりを胸に男と伴走することになるのです。
作者名の泉昌之は原作・久住昌之、作画・和泉晴紀のコンビ名なのですが、久住昌之のグルメものというと谷口ジローと組んだ『孤独のグルメ』ばかりが注目され、同じような世界観の作品が世間に受け入れられていくのを喜びつつも、原点を知るファンはちょっと残念は思っていたわけです。が、この『食の軍師』は乾きを十二分に満たす仕上がり。『食の軍師』とあるように男が自分を諸葛孔明に見立てる形でストーリーは進み、さらに力石という聞いたことがあるような名の分かりやすいライバル的な存在(勝手に敵視してるだけなんですけど)もあり、ややバトルものに近い構成になっています。それだけに、今までは孤高と見れなくもなかった男の性格がマヌケな方向で際立ち、お前ホントに食うことを楽しめてるのかと気楽に突っ込みつつ読むことができます。朝食バイキングに気合を入れすぎて玉砕する話などには大いに突っ込ませていただきました。そしてイチオシは、崎陽軒のシュウマイ弁当が登場する「夜行」新幹線編というべきストーリー。普段食べてるものが出てくるとやっぱり破壊力が高いです。
さて、今回読んでいて思ったのは、これって池波正太郎の世界に近くないかと。池波正太郎を読む人なら分かってもらえるでしょうが、実は池波の「食」をテーマした文章では食べ物自体の描写はそれほど密ではなく、「食」をめぐる妙なこだわりと段取り・やり取りの詳細が主に書かれています。カツレツには人それぞれにゆずれない食べ方があると語り、小さいサンドイッチは許せないと憤慨。寿司屋やてんぷら屋の店主とのやりとりはまるで剣術試合のようで、レストランで給仕が不愉快な粗相をすると数日機嫌を悪くする。まさに池波にとって「食」とはこの漫画同様に
「抜き差しならぬ………」
ものなわけです。いわゆる高級なものは両者共食べてないという点も共通してますし。
高級なものをポトラッチでもするように消費したバブル頃には食い物をダシに周囲を洗脳しようとする「野暮」なグルメ漫画が流行ったりしたわけですが、自分の心をどうセッティングして何を食べるかという部分に収斂していく「粋」なグルメ漫画が注目されるようになったというのは本来の姿に戻りつつあるということでしょう。池波に比べて何かカッコは悪くはあるけれど、笑えるからいいじゃないですか。エラそうなよりはね。
※「夜行」読み返したらシャケじゃなくて鯖でしたが、記憶違いが面白かったのでそのままにします。
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