コレやるのすんごい久しぶりなんだが、その間に酒場・酒飲みを巡る状況ってのは随分と変わってしまったような気がしないでもない。
単純にコロナ禍を挟んでっていうのもあり、結構な店がその中で消えていったりして、イロイロと大分お世話になった万世の肉ビルなんかも今は無かったりする。他、大越なんかもそうだけど、世間の中で揉まれての栄枯盛衰ってわけでもなく、ある種の自然災害のようなものだったりがガッツリと影響して、古手の店が消えていくのは諸行無常の響ありって感じである。
当サイト的に大きく関係しそうなっていうと、本来何かしら影を抱えた場所であった酒場が、“安飲み”みたいなコンセプトで“B級酒場”的に持ち上げられ、SNSでインフルエンサー紛いのそれこそ安い方々によって“バズる”ための道具に貶められている、といった辺りだろうか。実際、始めからこういったトコロを押さえた店も登場して来ちゃったりもして。日本がビンボーになって来たってのも関係してるのかは知らんけど、正直コッチ方面がここまで盛り上がるとは思わなかった。
自分もあんまやってること変わらないだろと思いつつ、貧困国に行って「ここには本当の人間の姿があります!」みたいな無邪気な腹黒さのような辺りにはホントーに落っこちないように気をつけなきゃというか、一応のボンクラのコメツキバッタ程度の矜持として、開高健が書いた以下のことを押さえておきたいのである。
ビールの泡とかタバコの煙りなどと申すものは完全なプライヴァシーであり、一種のモビール作品であって、そのプツプツと上昇しつづける、また、ゆらゆらともつれる連動ぶりを眺めるのが放心の愉しみなのである。
『生物としての静物』収録「グエン・コイ・ダン少尉とオイル・ライター」
要するに(毎度要してない)、コレの投稿に関しては、SNSよろしく人と繋がることを至上にせず、孤独を恐れずに行こうという、良い方の押井守の『イノセンス』みたいな話なんだけど、そうすると誰も読んでくれないんじゃね、と思ったりもするわけなんだけれども、どうせ酒が入ったら忘れちゃうんだし、また違うことを言い出すかもしれないんですが、とりあえず今回はこれでクソ暑い中どうにかしていくって感じなんで、どうぞヨロシク。
今回の目的の店は西口なわけだが、前回のタカセ洋菓子店から後という流れなので、東口から移動しつつモロモロにふれていきたい。というかクリームソーダとプリンアラモードの後に酒かよ、って思う人も居るかもしれないが、乳成分が胃壁を保護してモアベターなのよ。
西口に移動するには駅の中を通っていけばよいのだが、駅内の東西が結ばれるのは1960年(昭和35年)と、毎度お馴染み闇市辺りからふれていくには大分遅い、ということでその前からあった駅北側にある、現在ウイロードと呼ばれている地下道を通ることにしよう。
この地下道、元々の名前は「雑司が谷隧道」とか言うらしいが、関東大震災の2年後の1925年(大正14年)に完成している。ウイロードとして改修されるまでは、西口の方に便所があり、その匂いが何となく全体こもるという、実に池袋らしい地下道だった。
実はこの地下道、闇市の時代には街娼がたむろす場所ような場所だったんである。もっとも多かった昭和22年~23年頃には地下道内にズラリと居並ぶという少林寺木人拳状態だったとか。また、恐らくメチルを混ぜた焼酎「バクダン」から来ていると思われる“バクダン一家”という名称の街娼グループも登場したという。彼女たちは自分達の街を“ブクロ”と呼んだ。この符丁が後に一般化するわけである。
下はギリギリ占領下の1952年(昭和27年)の池袋の街娼マップ。このころでも東西の入口にそれぞれ30人程度居たらしい。何故か三和銀行周りにも居るのがよう分からんけど。
占領下、池袋は都内から入間・朝霞・成増等への一般兵士が多く駐屯する米軍拠点へ向かう出入り口であり、そういったどちらかと言えば階級低めの米兵達が足を止める場所で、それを相手にするパンパン(米兵相手の街娼、後に洋パンとも)やオンリー(米兵相手に愛人契約をしたもの)が多く居る街だったのである。その米兵のグレードに合わせてか、より良い生活~贅沢品を求める他の街とは違い、生活に直結した理由で~というものが多かった。
この池袋の“オンリーさん”がヒロインというか、ヒロインが“オンリーさん”になってしまう不朽の名作映画として成瀬巳喜男の『浮雲』がある(原作:林芙美子)。引揚者として先がようわからんまま、妻子持ちの男を忘れられず、ズルズルと~という女性が池袋で、というのはカナリしっかりとした設定なんである。街娼最盛期の頃の雑誌には「ブクロは、やっぱり弱いものが集まってくる」と書かれている。内田吐夢の『飢餓海峡』で悲劇のヒロインが東京に出てきて、始めに働くことになるのも池袋の闇市なのだ。
どちらの映画も、セットではあるんだけど(上の画像はホンモノ)、池袋西口の闇市描写が素晴らしくて~とか、そんな話をするには、ソレ自体についてザックリとでも説明しておかないと、イロイロと話が進めづらいってことで、まずその辺を片付けておきたいので、ちょっとお付き合い願いたい。
西口は闇市の整理に関して、揉めに揉めて60年代まで掛かったというのは前回ちょっとふれたんだけど、その主な原因として範囲が広かっただけではなく、それがバラバラに分かれていた、というのがある。上の画像、赤の部分は闇市だったと特定されているところだが、連なっていても別ものだったり、曖昧な場所もあったりして、非常にヤヤコシイ。しかも、これはまだ初期(1947年辺りまで)の段階で、駅前の方は段々広がっていくんである。
当然というか、権利関係もゴチャゴチャしており、それに喰らいつこうというヤクザも様々だった。永安公司や安永公司という台湾(中華民国)系が仕切っていると思われる場所なんかもある。ひっくるめての、そのカオスっぷりは“カスバ”とか“ラビリンス”とか“ジャングル”とかって呼ばれたちゃったりして。先にふれた『飢餓海峡』の原作(水上勉)の方でもこう描写されている。
西口改札口から、西に向う広大な焼野に迷路のように建てられたバラックや屋台店の町は、通称、池袋ジャングルといわれた。
さらに、池袋西口の闇市がヤヤコシイのは最大の闇市が、よくあるアンダーグラウンド系や三国人系の仕切りではない、引揚者、戦災者用の復興マーケット(航空写真画像青枠)が最大のものだったという辺りだ。ここで商売を始めるものは他で権利金(ショバ代)を出せないような零細な人間が多かったのだが、後にここで住み始めるものも出てきちゃうのである。他では闇市はあくまで商売の場所だが、池袋西口の闇市では生活するものも居たのだ。ビンボー人が入り込むようなハードルが低かったんである。まぁ、闇市が整理出来ない原因にもなるんだけど。
ココが池袋西口の闇市の特徴だろう。元々繁華街が駅前のみで、そのすぐ隣に住宅があるという場所に出来た闇市は、似たような性質を持つことになる。東京の中では新開地という、過去だけでなく“今”も問われにくい土地でもあり、ここに来る人間は身一つでどうにかなるという~他の街では街娼は他から来るホントウにただの街娼だが、この街ではその入り込みやすさから“住人”になれる(池袋の場合、専業は少なく別途働きながら、とか主婦が主)。さらに、それを闇市の「闇すべてを裸にする」という解放区的な平等性が補助する。『浮雲』の原作(林芙美子)の方で、ヒロインのゆき子は、引揚後に始めて焼跡も目立つ闇市へ行き、ガレキに座って買ったみかんを食べていると、こんな感慨が湧いてくる~という場面がある。
旧弊で煩瑣なものは、みんなぶちこわされて、一種の革命のあとのような、爽涼な気がゆき子の孤独を慰めてくれた。何処よりも居心地のよさを感じて、酸つぱい蜜柑の袋をそこいらへ吐き散らした。
前に『肉体の門』の時にふれたが、当時にこういったむきだしの庶民性といったものを肯定したのは無頼派の坂口安吾くらいのもので、今で言うリベラルだったり、女性の人権を~みたいな人達はパンパンやオンリーを思いっきり叩く立場だったというのを忘れてはならない。彼らは自分たちの足元を揺るがしかねない秩序破壊には敏感である。この断絶ってのも、池袋のイメージを悪くしていく一因にもなっていくわけなんである。この街としてのイロイロな意味でのハードルの低さってのは美点だと思うんだけど、今も大流行の二元論的世界観だと、この辺は難しいよね。
こんなトコロでいいかげん西口に行くか。ウイロードは改修によって昔よりは広くなっているらしく、問題だったトイレも今は外に移動している。西口の北のほうが中国租界っぽくなってきた関係か、電動自転車に乗った中国人ファミリーとか、そっちの方々が妙に多い。まぁ子供が遊ぶには東口になっちゃうかな。
外に出ると、ドンキの裏手の辺りが駐車場になっており、ガランとしている。確かこの辺り、90年代の始めには裏本屋が並んでいたような気がする。もう何のコッチャ分からんという人も居ると思うんで説明すると、無修正のポルノグラビア誌のことだ。店に入ってもカウンターがあるだけで(警察避け)、店員に話しかけるとカタログ(ファイル)を出してくれるのである(あからさまな冷やかしだと出してくれない)。ネットでガンガンエロ画像が落とせるようになって、なくなっちゃったカルチャーなのだ。
そのまま進んでいくと、裏本屋と関係があったのかなかったのか、移転前の極東会の本部があり“ヤクザビル”と呼ばれてたビルがある。今は大手AVメーカーが入っているそうだ。その関係か、アルファードとヴェルファイヤの後ろスモーク仕様がドカンと停まっている。
実はこの極東会(当時は極東組)の池袋(闇市)への進出ってのが、池袋西口の悪評にカナリ影響していたりする。
元々の極東会は関口愛治をトップとして、大塚三業地で細々と稼業を営む、主な庭場(シマ)持たない組織だった。というのも、関口愛治が兄弟分の飯島一家小倉二代目・尾津喜之助のために、対立したその舎弟を殺害したことによって(山形事件)、長く服役することになってしまったからなんだけど、出所して組織を固め終わった2年後、終戦となり世情が混沌としてくるとチャンスが訪れる。
池袋では東口のマーケットを押さえ、西口にも進出した森田組が最大勢力だったが、その勢力拡大によって西口の飯島一家系の親分・小宮山豊太郎と対立することとなり、森田組組員が猟銃で小宮山を殺害してしまうのである。
新宿のマーケットを押さえ、各方面で顔役になっていた尾津喜之助は、自分のために入獄した兄弟分に報いるため、その二代目に関口の舎弟を指名。極東組はそれを足がかりに、ドドッと池袋に進出していくのだ。
元々、シマのない組故に、出自を問わない(後に在日系が組長になっている)実力主義で愚連隊をドシドシ組員にし、森田組を圧倒。関口愛治と森田組組長・森田信一が兄弟分になることで和解となるが、その後も池袋での地歩を固め、後に警察側から「池袋は極東組が押さえているので無風」と言われるまでになる。
が、この過程での暴力の相乗効果の中でワリを食うことになるのは、闇市で働く人々(街娼含む)になるわけで、ヒロポン全盛の頃ってのもあり、それをパン助(街娼)達にバラまいて足抜け出来ないようにして搾取する、組の事を悪く言ったり、ショバ代をしぶる店を打ち壊す、みたいなことを含む闇市店主・従業員へのユスリ・タカリなんかが日常茶飯事だったらしい。それが、正規の組員でははない、下っ端のチンピラ含めて、行われるのだ。そりゃ、アウトローな街なイメージが付くよねっていう。初期の闇市の良さを殺したのは、ほぼコレだね。
この辺、今も極東会が池袋に~ってのがあるのか、ヤミ市研究的なもんにはあまり出てこない話なんだけど。
ただ、最近この辺りは中国租界っていってもいいくらい、ソッチの店が増えているんだけど、どういう関係になっているのかは不明である。ショバ代とかどうなってるんだろうね。この租界にはそちらの人向けフードコートがいくつかあるので、いずれ攻めたいと思っている。
店に向かうため南に足を向けると、徐々に池袋西口的情景が濃くなってくる。
今回の店がある辺りは、闇市の整理で最後までズルズルした場所だったりする。上は区画整理の報告本の中の写真だが、キャプションに思いっきそう書かれている。この辺りは土地の形からコッペパン地帯なんて呼ばれていたらしい。よく知られる“美人街”なんかがあったのもここである。
闇市の後始末に関して、スッキリさせるためにふれておくと、最後になっていたコッペパン地帯の整理が終わるのは1964年(昭和39年)の12月。ここまで掛かってしまったのは、そこに居る人間がそのまま池袋で生きていくのを望み、都や豊島区側がマメに近隣での代替地を用意したり、整理した土地に建てられたビルへの入居を斡旋したりしたからである。住民化していた人達が、ホントウに住人になって終わったというのが、他の(デカい街の)闇市とは違う決着なんである。
店はそういった過去もなんとなく引き継いだような路地に入った場所にある「さかば ふくろ」西口本店。創業は1953年(昭和28年)で、バラック造りだったというから、思いっきり今回の話と関係ありますな。
池袋西口のド定番居酒屋と言っていいような店なんだけど、夜に何度行っても混んでいて、今まで入ったことがなかったんである。一人でサックリ飲むのに並びたくはないよな。ソノウチに日常で動けなくなるわ、コロナが来るわで。
この店、路地の両サイド(北と南)から入れる造りになっているんだけど、確かどっちかに文化人御用達だった居酒屋「おもろ」(沖縄料理)があったような記憶がある。何かの機会に(誰かに連れられて)一度だけ入ったことがあるが、大鉢が置いてあったのだけ憶えている。
と、店に入る前に外観とか撮っておくかと思ったんだけど、何か妙に座り込んだり、立ったりして何かをしている人間が多いんである。写真撮れねえじゃん(実際逆の入口は撮れなかった)、とか思いつつ、何だったのか帰ってから調べてみたトコロ~池袋西口がコロナってのも関係ある形で、オッサンを中心にした路上飲みのメッカになってしまい、ゴミをそのままみたいな彼らのモラルの無さに近隣住人が激怒。豊島区がその声に答えて、拠点になってしまった駅前広場や西口公園に警備員を配置し規制。そっからの流民の一部が路地へ~という流れらしい。
トー横に行くことが出来ない西イケオッサンに仕業だったってのは、情けなくもどうしようもなくてオモシロ過ぎる。しかし、近隣住人がってのが、繁華街のすぐ近くに人が住んでいる池袋らしさかな。歌舞伎町だとコレは無いよな。
その池袋らしさってわけでもないけど、営業時間がモロそういう感じ。どうも、元々近所の商店主が朝定食(今もある)を食いつつ、一杯引っ掛ける~というような店として始まっているらしい。今の開店時間は8時半だが、コロナ前は7時、80年代の本には「朝5時から開店」していると書かれている。5時は完全に地元ベースだな。
んなトコロで入店だ。お初の店に入る前の緊張感ってイイよね。
おとっつぁんしか居ねええええええええ(お約束)。
まぁ自分ももう十分おとっつぁんなんだが、こんだけ年齢層が高いのは久しぶりだ。で、更に驚いたのは他の店に比べて店内が静かなこと。中央の常連と思われる客が、若干饒舌になっているが、メートルが上がっている、という感じではなく、あくまでご陽気にって程度だ。ほとんどの客は静かに杯を重ねている。とっかかりは、西部劇の飲み屋に入ったような心地よいハード感がある。
とりあえずビールと決めて、諸先輩方は何を頼んでいるのか、ササッと覗いてみると、おすすめに出ているかぶみそ(茹でたかぶに味噌が付いている)を中心に、身体に優しそうなものをみんな頼んでいる。それに反発するわけじゃないが、ビールと一緒にモロな揚げ物を2つ(ハムカツ、タコ唐揚げ)頼んでしまう。
ちょっと焦ってしまったかと思いつつ、トットとやってきたビールをグビッと飲んだら、くっそ暑い中を歩いていてちょっとオーバーヒート気味だったのか、キンキンだったのもあり、めちゃくちゃキク。
これで落ち着き、突き出し(菜の花とアサリの煮物、多分)をつまみながら、店内のモロモロを眺める。ホッピーを飲んでるおとっつぁんが多いので、ちょっと迷ったが、キンキンのが来たんで瓶じゃない生ビールで正解だったなと、考えつつ見てしまうのは、店員の練度である。ちょっと酔ってきた客のあしらい方も含め、素晴らしすぎて、客の年齢層的に若干の介護感が出てしまうのも店の個性として良い。
客も細かく見てみると、ほぼ近所か沿線数駅から来ているなといった感じで、異物感のある客は居ない(お前だろ!というのは置いとく)。唯一の紅一点の妙齢客がずっとスマホをイジっており、花とゆめに連載を持っていそうな謎感があるが、居酒屋では珍しい凪のような雰囲気の店内の中では風景になっている。
まず、やってきたのはハムカツ。端が赤いプレスハムを薄めに揚げた逸品である。おっと思ったのは、パセリ・からし・レモンがしっかりあるというのもそうだが、キャベツの量がしっかりあること。これ飯頼めば定食になるね。
というか「ライス」ってのがしっかりとあるわ。定食で頼まなくても、どうにかなるのね。昼ココでも良いな。
店員さんがハムカツを持ってくるときに、キチンとソースはこっちですよと教えてくれる。干渉はせず、ケアはするという距離感がホントウに心地よい。
と、ハムカツのキャベツをやっつけてる時にタコ唐揚げがやってくる。スンゴイ美味しいけど、これシェアした方がいい量だな。この前にプリンアラモードも食ってるし(食うな!)、後一品程度かなと考えていると、いかにもこういう場に身を置くのが好きそうな下北沢系風味の女子大生がニヤニヤしつつ入店。おとっつぁんに混じる形で席に着き、こりゃイジるの出るんじゃないかと心配しちゃったんだけど、いい意味で完璧にほっとかされているので関心してしまった。
自分もソロでここまで気分の良い店はカナリ久しぶりか、初めてかってくらいで、これ一人飲みだったらほぼ理想に近いんじゃね、と思っちゃったんだけど、これ何でかっていうと開高健の言うトコロのプライバシーがしっかりと守られているってのが大きいんじゃないでしょかね。バーに近いのかな、なんて考えたけど、バーはバー隣の聞きたくない話が入って来るみたいな面倒も多かったりするけど、この店、そういうのもほぼ無いんだよね。それを重視する店・店員・客層が三位一体過ぎるというか。ギリギリまだ午前中ってのも大きいのかな。
なお、タコ唐揚げを持ってくる時に、店員さんがさり気なく七味を勧めてくれたので、ありがたく試してしたけど、ホント正解。
最後のツマミは何にするかなと、頼んだのはブリの刺身。毎度お馴染みで、先入観を持たないように、店のことは特に調べずに来たんだけど、歴史だけ調べようとしたら「刺身と天ぷらが良い」ってのだけ見ていたんである。で、刺身方面に。揚げ物行っちゃってるし、天ぷらは次回に期待だな。
当然のようにレベル高し。天ぷら含めて魚方面で攻めても良かったね。と、刺身をツマんでいると、昼時になったというのもあり、店内がやや混んでくる。自分の隣の席の始めは空いていたが、どちらも埋まってミッチリという感じ。
さらに、続けて客が入ってきて、店員に「ちょっとお待ちください。」と言われる状況に。で、自分の席は入口側の端なんで、その待つ人は後ろに居るわけである。ゴルゴじゃないが、流石に落ち着かないので、帰ることにする。注文のキリもよいし、腹もほどよく膨れたしね。一人飲みは、この点が気が楽で良い。
ということで、店員さんに精算をお願いすると、「スタンプカードお持ちですか?」と聞かれる。何か帰る客に対してポチポチやってるなと思ったらコレだったのね。と、自分もポチポチと。で、「美味しかったです。」と言って、店から出る。
「さかば ふくろ」は久しぶりだから点が甘くなったというわけでもなく、そりゃ池袋の定番居酒屋になるわ~と大納得の店だった。
コロナ後ってのと、時間帯ってのも作用しているのかもしれないが、店内の雰囲気はちょっと代えがたいものがある。これは池袋をほぼ地元とするような客達に愛され、磨かれたってのが大きいんだろう。『浮雲』のヒロインじゃないが、シッカリとしたプライバシーが包むかのように“孤独を慰めて”くれるんである。
店を出て爽やかな気分になるってのは、久しぶりだ。スタンプカードも貰っちゃったし、また来なきゃならんだろうね。
さかば ふくろ 西口本店
住所:東京都豊島区西池袋1-14-2
電話:03-5294-1220
営業時間:画像をご覧あれ
定休日:無休
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