端唄(はうた)の「芝で生まれて神田で育ち…」とか、講談の「江戸っ子だってね」「神田の生まれよ」というやりとりもあるように、何故典型的江戸っ子は「神田」で育ったり生まれたりということになるのか。それは、神田が市場と職人の町で、江戸最初の“下町”だったからだ。
当時の商業活動は廻船のターミナルである江戸湊と隣接する日本橋を基点にして下の京橋(のちの銀座を含む)は金融、上の神田は流通と分かれていた。物資が集まってくる神田には当然のようにそれを扱う市場が立ち、それらを加工する職人たちの“工業地帯”も生まれることになる。
幕府御用市場だった神田市場のことは以前居酒屋「村役場」のときにちょっと触れた。旧職人町としては現在の神田駅周辺に鍛冶町という地名が残っているが、鍋町・塗師町・蝋燭町という地名の場所もあったようだ。こんな感じで、市場関係者のきっぷと威勢のよさ、そして自らの腕を信じる職人気質というのが江戸っ子の基礎になるっつーわけ。
日本橋・京橋の人達も江戸っ子じゃないのという疑問も出てくるだろうけど、江戸は新開地だったため日本橋・京橋のいわゆる大店(おおだな)というのは上方系資本が多く、採用されている従業員たちも上方の“本社”で採用され派遣されてきた人ばかりで、江戸っ子の現地採用はほとんどなかった。大店からすると江戸っ子は寄せ集めで信用できないというわけだ。「芝で生まれて神田で育ち…」という端唄は、江戸っ子(都市生活者)に仲間入りするには神田の市場関係、または職人町で修業をするしか道が無かったという当時のそういうせせこましい事情を知っていると、後の「今じゃ火消しのあの纏持ち」がしっかり効いてくる内容になっているのというわけ。
こうして、大資本に属する山の手の店者(たなもの・大店関係者のこと)への反発から弱きを助け強きをくじくという気質(武士への反発もある)と、宵越しの銭は持たないという気質(火事が多かったという事情もある)がプラスされて下町の典型的“江戸っ子”が完成すると。
なんで酒場紹介なのに江戸っ子の話になってんだと突っ込む人、気持ちは分かる。何を言いたいのかというと、神田はこういう町人社会と文化があったため昔からヤクザが組織として入りにくい町だったということ。つまりショバ代を払う必要が無いが故に安酒が飲めるオヤジパラダイスが形成される土壌がすでに江戸の頃からあったということを言いたいのだ。
戦前の神田駅前には地元住民を相手に生活物資を売る、よく見かけるような下町の商店街が広がっていたそうだ。そこに敗戦でお約束のように闇市が出来たのが神田駅前飲み屋街の始まりらしい。といっても駅近をちょっと離れると上で説明したような“江戸っ子”の町人文化を土台にした強固な地域社会がどっしりとしてあり、そしてコアである客は近所に住んでいる彼らであるため、怪しげな部分(ピンク系とか)はありつつも底が見えて、どこか健全な雰囲気のある妙な飲み屋街が形成されていったという流れのようだ。この辺、周辺に地域社会が無い他の「繁華街」とは成り立ちがちょっと違うわけだね。ヤクザも入れんわな。
目立ったヤクザ組織がないっていうことで神田を選んで店を開いたり、面倒を避けて移ってきた店なんかも多いという話。
というような認識で久しぶりに神田駅前に来てみたわけだけど…。なんかチェーン系居酒屋増えたな。黒ポロシャツの客引きがうっさい。三ヶ国語で書かれた違法客引き禁止って看板あるし。だいぶフラット化の波がここにも多少押し寄せて来ている様だけど、まだまだ闇市臭を残したオッサンパラダイスとしてオーラは健在で、その澱のようなものがガード下にミッチりと溜まっている。鉄橋柱脚には懐かしいお名前も。
そんなガード下の瘴気をしっかり吸ってオヤジパラダイスに身体を慣らし、ヨシ行くぜと思ったらイキナリの激しい雨。しかし、コンビニに走り傘を買って外に出ると、あっという間に雨あがる。何だよ、と傘を畳んでいると、前に同じように傘を畳むCUE氏が居たので合流。どうも同じコンビニで自分のちょっと前に傘買ったらしい。お互い無駄になった傘には触れず、それをライフルよろしくエンジェルを救いに行くワイルドバンチな気分で店へ向かう。
今回のバトルフィールド・アースである酒場は神田駅西のガード下にある大衆割烹「大越」。“大衆”って付くあたりがトガってなくて良いよね。教義で言うと大乗仏教っぽくて(分からねえよ)。
「大越」は東京オリンピックの開催前年となる、昭和38(1963年)年にから続く、神田居酒屋界の雄である。神田駅を利用するリーマン達が50年近く聖地のように巡礼し続けて、実際聖地になっちまったんじゃねえのという鉄板酒場だ。
店の前に来ると、レンガのガード下ということもあり、客を待ち構える旅順要塞のトーチカのようにも見える。手強いな。
人気酒場ということで入店不可ということも想定して来たが、入り口に居た三木のり平風味のオッサン店員に「今日はガラガラだよ!ガラガラ!入って入って!」とあっさりと引き入れられてしまう。
そのまま、店内を見渡すと~
リ、リーマンしかいねえええええ(竹中直人風に)。しかも年齢層が高けええええ。店内がワイシャツだらけで白い、白いよララァ。ジャブローのジム工場かよ!
いや~店内に仕切りのような遮る物がないってのもあるけど、こんだけリーマンがずらりと並んで酒を飲んでいるのを見ることが出来る店ってのは珍しいんじゃないの。
っていうか全然ガラガラじゃないじゃん。普段はもっと混んでるのか。恐ろしいな。
一番奥の店内の様子全体が分かるコチラとしては都合のいい場所に通され、何時ものように生、そしてツマミをビシビシ注文する。注文を取るのはさっきのキャラが濃い三木のり平風味のオッサン店員。他の店員も時空を超えてきたような庇髪(ひさしがみ)の女性(女将さんか?)など只者ではない感じだ。レシートの付け方が妙だなと思ってよく見てみると品物の名前を書くんじゃなく、値段で分かれた票のようなものに“正”の字で数を入れていく形式になっている。こりゃ分かりやすいね。
すぐに来たビールで乾杯し、注文の品が来るまでツキダシと店内の様子をツマミにグイグイと行く。店内は結構うるさいが、気取ったものが欠片もないので非常に落ち着く。
厨房を見ると、板前さんたちが持ち場を守る機銃兵のように黙々と下を向きツマミを作り続けている。マシーンかっていうくらい無駄な動きが無い。プロだ。その中の古いホーロー看板でよく見る水原弘に良く似た板さん(参考)が渋過ぎるので、二人して板さんの波乱万丈のバックストーリー(ヒドイので内容は秘す)を勝手に考えて出し合っていると一気に注文が来た。
ここ大越は独自のルートでもあるのか海鮮系が強く、そして安い。刺身、炒め物、揚げ物とやはりオッサンに鍛えられた店のメニューにハズレは無い。特にアジフライは安い定食屋よくある薄っすいものじゃなく、身がガシっとある飯が食いたくなる逸品だった。
と、陰翳礼讃も何もない明るすぎる店内で苦労しつつカメラを写しているCUE氏に三木のり平店員が話しかけてきて、ナカナカのカメラマニアということが判明する。やはり只者じゃなかったわけだ。
ここで気づいたのはリーマン達、というか客の回転がやたらと速いってこと。BGMに運動会定番曲「天国と地獄」でもかけたくなるくらいだ。どうもここでのリーマン飲みってのはサクっと飲んでトットと帰るってのが正しいのだろうか。食い物をビシビシ頼んでるの俺達ぐらいだ。でも近くの席の常連さんっぽいオッサンら、俺達が入る前からずっと居るしな。席に焼酎のビン抱えてるし。
店内は当然のようにリーマンシフトということで全席喫煙なわけだが、トイレに行ったらそこにも灰皿があった。誰が吸うんだよ。あっ、酔って思考がガキレベルになっちゃったオッサンに配慮してるわけだね。流石だ。
こういう店なんで酒の種類が絞られているかと思ったら、結構な種類がありありがたい。三木のり平店員に進められた緑茶サワーがなかなかサッパリしていて、鯨ベーコンをツマミに飲むといい感じであった。席の横を見ると棚に名前が書かれた酒ビンが並んでいて、ボトルキープもできるようだ。その下のサーバーに書かれた手書きの「レモン」が味があっていい。
“大衆割烹”と名乗るのは伊達じゃなく、後から注文した天ぷら盛り合わせ、ふぐの唐揚げもレベルが高い。この店、飲みだけじゃなく昼からやってる定食メニューもあって(夜も注文できる)、種類が豊富な上にワンコインだという、どんだけリーマンに優しいんだよ仕様。近所にあったら昼飯に間違いなく通うよなぁ。つい一緒に酒頼んで駄目人間になりそうだけど。
そこそこ飲んで食った辺りで、店を上がるらしい三木のり平店員がやってきて「また来てくれよなっ!」とわざわざ席に来てくれて、しかも自慢の愛器「ミノルタ TC-1」を見せてくれる。また来るしかないじゃないか。言われなくても来るけど。
そろそろ俺達も上がるか、というか甘いもん食いたいけど流石に無いしという感じで清算。焼酎抱えた常連オッサン連中はまだ居る。
こういうオッサン系居酒屋で飲むと妙な後腐れ感が全く無くて良い。よくある和創作なんちゃらみたいな居酒屋が典型的だけど、飲みをイベントやアトラクションのようにして金をボッタくるみたいな方向性と違い、飲みが生活の一部として提供されているからだろう。
というわけで、大衆割烹「大越」。リーマンが聖地と崇めるのも当然という技量と包容力のあるブルース歌手のようなシブイ酒場でした。
写真協力:CUE氏
神田駅カード下 大衆割烹「大越」
東京都千代田区鍛冶町2-14-3
電話:03-3254-4053
平日:11:00- 23:00
土曜日:11:00- 22:00
東京都千代田区鍛冶町2丁目14−3
ここからはオマケとなるんだけど、店を出てもオヤジフィールドであるその辺に甘いものを食えるような店は無く、カメラで周辺を写しつつ甘いもんを求めて彷徨うハメに。
先にチェーン系の居酒屋が増えたって触れたけど、グルリと駅周辺を回って見ても、やっぱり小規模の飲み屋はだいぶ減っており、CUE氏がエロ劇場があったという場所はペロンとした壁で塞がれている。
どうも、この変化ってのは何処にでもあるフラット化ってのもあるけど、オフィス化なんかが進み神田駅周辺の下町的な地域社会で生活していた住民が減ってしまったこと、そしてその増えたオフィスで働くリーマン達の仕事も終身雇用制の崩壊で以前のように同じところで穴を掘るような感じではなくなってしまったという辺りで、“常連”というものが生まれにくくなり、小規模飲み屋の経営が難しくなったという神田独自の事情もあるようだ。
余りの大衆臭さで気づきづらいが、ここは千代田区ですぐ隣は大手町、隣駅は東京駅という抜群の立地で、家賃もそこそこするのだ。客が来なけりゃ直ぐにやばくなっちまうと。
現在、宇都宮線・高崎線・常磐線を東京駅まで乗り入れさせる工事(東北縦貫線計画)に伴うカタチで、神田駅でも工事が始まっている。そうなるとまた神田駅周辺は人の流れが代わることになるんだろうけど、それでコギレイにフラットにが進むようじゃ困っちゃうよね。上野駅構内なんか昔からの立ち食いそば屋が無くなっちゃったし、御徒町のガード下には変なオサレスペースが出来てるし。まぁ神田駅もそう持って行きたいんだろうけど、ツマランよなぁ。
結局甘いもんは傘を買ったコンビニでアイスモナカを入手したものの、そのまま電車に乗れないし、食いながらダラダラと東京駅まで探索して行くかと、スタンド・バイ・ミーな流れとなる。
モナカをカジりながら東京駅に向かって高架横をちょっと歩くと、赤い文字の看板が光っている。浅丘ルリ子が満州から引き上げて来た後、近所で暮らしていたという今川小路である。ここは千代田区と中央区の境であり(路の両側で区が違う)、両区内で数少ない闇市そのままの雰囲気を残すタイムカプセルのような場所だ。写真で見たことはあったが、こんなにそのまんまで残ってるとは思わなかった。
今川小路というのは実は近くにあった今川橋(現在今川橋交差点)辺りにあった商店の並んだ横丁で、今川焼きの「今川」はここに元祖店があったからというような、それなりに賑わった場所だったらしい。昭和の始めに合併で今川という地名が無くなった後、このガード下の小路がその名を引き継いだと。といってもこの通りは戦後に龍閑川を埋め立てて出来た道路なのでその辺の詳細は不明なんだけど。
今じゃ看板の明かりが無ければ廃墟と言われても分からないような風情だが、戦後しばらくはこの辺りも職人達が多く住み、店舗もあってと生活の匂いがちょっとはあったようだ。この小路も基本そういう住人相手の地元密着型飲み屋横丁だったわけだ。しかし、大手町により近いってのもあってビル化がどんどんと進み住民も少なくなり、ガード下の闇市空間・今川小路だけが開発の暴風を逃れて生き残ったという。
江戸っ子も開発にゃ勝てないわけだねえ。
生き残ったといっても、すぐ隣では東北縦貫線計画の工事をゴリゴリとやっており、ここも何時まであることやら。でも、スタンド・バイ・ミーの死体探しじゃないけど、誰かが持ち去ったり埋めたりする前に、こういう場を押さえて感じるってのが大事なことなのかも知れない。無くなる前に来れて良かったよ。
んな感じで今回はこんなところで。
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