文京区本郷界隈はおおむね戦火を免れたため、古い建物が結構残っている地域です。しかし、時の流れには勝てないと言ったらいいのか、今回紹介する店を訪れる前にふらりと裏通りを覗いたら、築100年以上の歴史を持つ下宿「本郷館」が取り壊し中でした(投稿日の2011年9月12日現在、ほぼ終了しているようです)。
本郷館は太平洋戦争の爆撃だけでなく、関東大震災も耐え抜いた建物として文人たちが多く住んできた本郷を歴史巡礼するときのランドマークでしたが、所有者が建物の老朽化を理由に賃貸マンション建設の計画を進め、文京区も所有者の協力を得られないと史跡指定を断念したため解体となってしまったようです。別に本郷館だけではなく、どうも本郷界隈は古い町並みが残っていたのがアダとなってしまったのか、小林信彦が『私説東京繁盛記』で引用した「町殺し」が、今になってやたらめったらなマンション建設というカタチであちこちで行われています。
明治期、東大が置かれた本郷は多くの大学があった神田神保町界隈と並び二大下宿街となっていました。そんな本郷の東大正門に程近い岡崎藩の江戸屋敷跡地に本郷館が建造されたのは明治38年(1905年)。多い需要を当て込むかたちで作られた木造三階立て、部屋数76という当時としても珍しい巨大な木造建築物でした。その後、「放浪記」の林芙美子などの著名人を含む多くの学生たちが下宿し、21世紀のつい最近まで現役だったのです。私もちょこちょこと用も無いのに遠回りして訪れては、その威容に圧倒されていました。
列島改造以後の生まれでこういう光景は見慣れていますし、寺社仏閣等の木造建築物と違い、その構造と保存をめぐる環境などは全く違いますから、なんとも言えない部分もあるわけですが、諸行無常な気分になりますね。
ただ、こういう場に立会い、その光景を記憶が出来たというのは非常に良かったなと思います。
ユンボが本郷館をひしゃぐ音を背中で聞きながら東大正門まで戻り、気を取り直して今回紹介する喫茶店ルオーへ向かいます。といってもルオーは東大正門のほとんど向かい。
「ルオー」は画家だった初代店主が昭和27年(1952年)に東大赤門近くにオープン。広い店内の壁いっぱいに絵画が飾られ、質朴な木製のインテリアが並ぶ洒落たこの画廊喫茶は、すぐに向かいの東大の教授・学生が常連となり、そのような情景が柴田翔の小説『贈る言葉』の舞台にもなったことで、ある種の憧れを持って語られるようなお店として地域に定着していきました。その頃は劇作家の木下順二や俳優の宇野重吉なども常連だったそうです。昭和54年(1979年)に一度店主の都合で一旦閉店となりますが、半年後に関係者(かつて常連だった方という噂)の努力により現在の東大正門前に移転して再開。「画廊喫茶ルオー」から「喫茶ルオー」となり店の造りも変わったものの、今も変わらず向かいの東大から多くの学生達が訪れ賑わっています。
店の前に来ると節電のためか、ゴーヤの蔓が二階の窓までを覆っていました。この看板のロゴとレンガの意匠はマッチやナプキンにも使われており、店が移転する前からほぼ同じ。移転前のお店には暖炉のようなものもあったそうなので、そのイメージなのかもしれません。
店の中に入り、一階よりも明るく開けた印象が強い二階へ上がることにします。
食事のみだったら窓側の席が景色が良くていいんですが、写真も撮りたいので室内全体が見渡せる奥の席に。移転前のものを引き継いだインテリアは、歴史を経て質朴さに磨きがかかり、なにか郷愁のようなものを感じさせます。
それにしても、椅子の背もたれにコーヒーカップのくりぬきっていいデザインですよね。
後ろにはやはり店のマッチに使われ(先ほどのロゴとレンガの意匠の裏面)、店の象徴にもなっているルオーの「道化師」が飾られています。そのお店のマッチに「セイロンカレー風カレー専門 喫茶ルオー」と書かれているように、ルオーはカレーが名物で、今ではカレーマニアがわざわざ食べに来るようなお店としても知られておりまして、今回はそれを注文。このお店ではカレーを頼むと、すぐに付け合せのラッキョウと福神漬けの入った小皿と冷たい水が入った水差しを持ってきてくれます。
カレーが来るまで、店内を眺めると美術展や展覧会の予告ちらしがあちこちに張られていて、一階では前売り券も買うことができます。「画廊喫茶」ではなくなってもその伝統は引き継いでいるようです。
やってきたカレーは豚肉とじゃがいもがひとつずつゴロリと入った昔懐かしい感じのもの。豚肉はスプーンでホロリと崩れるやわらかさです。
食べ始めはやはり小麦粉を使った昔ながらの味のするカレーだなという印象なんですが、食べ続けるとコショウを中心としたスパイスがしっかりと効いてくるという、ただ懐かしいだけじゃない奥深さのあるカレーです。
日本のカレーは元々明治期にイギリス式のものが普及したものなのですが、この店のカレーに“セイロン”とスリランカの旧名が付くのは、そのイギリス(旧宗主国)式のカレーだからということらしいです。レシピはオープン時からほとんど変わっていないらしく、ルオーのカレーは戦前から続く老舗洋食店のカレーと共に、インド式のものが入ってくる前の本格的カレーはどのようなものだったかを知ることの出来る貴重な味でもあるわけです。
カレーがには通常の半分サイズのセミコーヒーが付いてきます(アイスコーヒー、アイスティー、野菜ジュースでも可)。またカレーは通常サイズ(950円)だけでなく、大盛り(1100円)と小盛り(850円)があり大食、少食どちらにも対応。
セミコーヒーも飲み終わり、一階のレジに向かおうと階段降りようとして、柴田翔の小説『贈る言葉』で主人公が別れた“君”と思いがけず再会(といってもすれ違うだけですが)するのが階段だったなというのを思い出しました。
それから、一度だけ、君を見かけたことがある。別れた翌年の秋、もうい十一月になっていただろうか。講義が終わったあと、ぼくは友だち二、三人と本郷の喫茶店ルオーへ行った。外は暗い冷たい雨が降っていたが、中に入ると、明るく乾いていて、気持ちがよかった。
「おい二階へ行こうか」
そう、あとからくる連中に声をかけて、一階の中ほどにある階段の登り口から、二階の方を見上げた時だった。その階段を、全く思いがけなく君が降りてきた。ぼくは、降りてくる君のために、習慣的に一歩身体をひらいて、道を明けながら、棒のように、そこに突立ってしまった。
『贈る言葉』は学生運動の時代を生きた青年の青春(恋愛)と挫折の物語です。今、後の時代を生きる私が読むと、なんとなく村上春樹の原型のようなという印象を受けたりするんですが、おそらく村上春樹氏も青春時代に熱心に読んだのでしょうね。しかし、60年代から70年代の学生運動の時代には「バイブル」として盛んに読まれた柴田翔の小説は、今では新たな切り口で振り返られることも無く、ほとんどが絶版となっています。当時の「青春」の理解という意味でも、もうちょっと読み返されてもいいような気がするんですが。
『贈る言葉』の舞台になったのは移転前の店舗ですが、一応階段の写真を。
『贈る言葉』が書かれた頃の広かった移転前のルオーを知る人には現在の店舗はやや寂しさを感じさせる部分もあるようです。しかし、どうも店舗が小さくなった原因には70年代の後半から学生達が喫茶店で議論や勉強会をしなくなったという部分もあるようで、そういう形に落ち着いた現在の店舗に名物のカレーを食べに新しいお客さんが次々に訪れるルオーには、良いものを上手く残しつつ時代の波を乗り越えてきた老舗の風格と安定感を感じさせるものがあります。
ノスタルジーのまま消え去らずに、今このようなすばらしい雰囲気の店舗でおいしいカレーが食べることが出来るというのが“幸い”と言うべきなのではないでしょうか。
最後に、冒頭の「町殺し」で触れた小林信彦の『私説東京繁盛記』で引用されている作家ラッセル・ベーカーの言葉を孫引きして終わりたいと思います。
ノスタルジアとは、自分たちがたどり着いた場所が気に入らず、次なる目的地についても何の好みももたない、さまよえる人々に付きものの悩みなのである。
喫茶ルオー
東京都文京区本郷6-1-14
電話:03-3811-1808
定休日:日曜・祝日
平日:9:30~20:00
土曜日:9:30~17:00
最寄り駅:メトロ本郷三丁目駅、メトロ東大前駅
東京都文京区本郷6丁目1−14
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ルオーで検索してこの記事にヒットしたのですが…
上から7枚目の写真(3人のお客さんが写っている写真)の右側、
東大の家田先生じゃないですか!!!
すげーww