以前に新橋西口の歴史に関してはニュー新橋ビルの回で触れたわけだけど、じゃあ反対側の東口はどうだったんだって辺りは当然気になる辺りだと思う。
結構昔に焼け跡関連の本をまとめて読んだ時、西口に松田組が仕切る「新生マーケット」があった頃、東口にも「国際マーケット」ってのが在ったらしいということが何となく分かったんだけど、どういうわけだが「在った」以上の資料を見ることは無かった。と言っても、ただ好奇心のフォーカスがたまたま焼け跡に合ったというだけで、特にキッチリ資料調べ的に読んでいたわけではなかったので、「ふ~ん」と思っただけでフォーカスは毎度おなじみな感じであっちこっちは行ってしまい、そのことはスッカリ忘れてしまっていた。
で、数年前に七尾和晃『闇市の帝王 王長徳と封印された「戦後」』が出てその辺の事情が分かったわけ。関係者どころか、マーケットの主が存命だったのだ。そりゃ書くの避けるわな。資料がろくに残ってないわけである。
その新橋東口にあった「国際マーケット」の主・王長徳は中国の湖南省の生まれ。幼少期に父親の仕事の関係で現在の北朝鮮地域に移住し、皇民化教育を受けるが11歳の時に「革命」のために密出国。徒歩での流浪の果てに重慶にたどり着き、軍官学校に入校。兵科に空軍を選び、米軍から供与されていたP-38ライトニングを駆る国民党航空隊兵士となる。この辺、ご本人申告の「美しい話」なんで、まぁ話半分に。
問題はなんで、中国本土で国民党の一兵士をやってた人間が新橋でマーケットを開くことになるのかって辺りなんだけど、どうも日本軍への「戦勝」前から腐敗極まっていた国民党政府が濫発した大量の紙幣をドサクサ紛れに自分ものとし、さらにそれを持ったままドサクサ紛れに日本に“占領軍”としてやってきて(日本語が出来たってのもある)、も一つオマケに戦後のドサクサと”戦勝国民”で治外法権であることをいいことに特に怪しまれることもなく日本円に換金しちまったという流れらしい。その額は当時の金で5千万円。現在のお金の価値に直すと50億くらい。要するに滅茶苦茶ズルをした人物なんである。まだ20ちょぼちょぼの年齢の王長徳はその莫大な金を元手に敗戦で捨て値同然となっている東京を好き放題にし始めるわけだ。というかアンタ「革命」どうなったんだよ。居るよな~こういう奴。どっかの牛丼屋の社長みたいな。
王はその金の中から新橋東口の4千坪という広大な土地を三井信託銀行から600万ほどで購入し、上海にあった三角地菜場(上の写真)をモデルにマーケットの建設に着手する。「購入」となっているが、当時は土地の持ち主が死んだり、戦地で捕虜になっていたりして、所有権がよく分からなかった時期だ。自分の土地に帰ってきたら三国人系と闇市系に土地を占有されちゃってた、なんてのは新橋に限らず敗戦後の首都圏駅前じゃアチコチであった話ではある。その辺の実際は闇の中だ。何故新橋東口なのかってのはヤクザ勢力の真空地帯だったからだそうである。
「国際マーケット」がオープンしたのは1946年の11月。とりあえず始めは三十坪三棟の木造二階建てでスタートし、翌年3月にはすべての建物が完成したらしい。ちょっと1948年の航空写真を見てみよう。
本の中にははっきりと場所が書いてあるわけじゃないので断定はできないが、矢印の先の建物が並んでいるように見える場所が「国際マーケット」ではないかと思う。
このマーケットの店子としては夏目漱石の息子でのちに父の神経症からの家庭内暴力やらを随筆にした夏目伸六と妻(昌子)が酒を出す店(小料理屋だったりバーだったり)をやってたりして、「夏目」のネームバリューもあり王に大事にされていたことを随筆に書いたりしている。伸六と昌子が夫婦喧嘩をして昌子がヒステリー(夏目家の嫁はヒスっていう決まりでもあるのか)で居なくなると王が探して向かいに行くという中々マメなことをやっていたらしい。因みに、この店は後に丸山明宏(美輪明宏)がバイトに入っていたこともあったようだ。
「国際マーケット」は始めのうちは店もスカスカと言った感じだったようだが、西口の「新生マーケット」オープンへの流れと同様に官憲が露店への規制を進めるにつれて、それらの露店が入居するカタチで店子が増えていく。当然そこで並ぶ商品には“戦勝国民”の治外法権的な力でしか入手できないものも並び、それらを求める人達で大いに賑わうようになっていったようである。東口も西口同様というかそれ以上に胡散臭さじゃ負けていない場所だったわけだ。
王は新橋の後に渋谷、学芸大前、自由が丘、荻窪と次々にマーケットを開き、銀座に巨大キャバレー・クラブマンダリン(地下がカジノ)をオープンさせるなど「東京租界の帝王」への道を突き進んでいくわけだけど、その辺の栄枯盛衰話は新橋から離れるので、詳しく知りたい人は下のアマゾンリンクから本をご購入ください。正直作者のインナースペースが前に出過ぎで焦点がイマイチ「王長徳」に合ってなくて読みづらい本なんだけどね。この手の三国人系の本はどの立場からもそれぞれの「美しい物語」が乗っかっちゃって、資料としての客観性の欠けるってのが問題だったりするんだよなぁ。直接会っちゃってるって辺りで悪漢として書くのが難しいのは分かるんだけどさ。
と、まぁダラダラ語ってもしょうがないので今回の枕はこの辺にして、いいかげん店の紹介へ行こう。
当然ながら今回の店は新橋東口にある。ここまで引っ張って場所が全然関係ない六本木とかだったら怒るよね。今回周辺含め朝昼夜と数回訪問して、明るかったり暗かったりと写真がゴチャゴチャになっているのでお気をつけあれ。
てなわけで、店へ向かうべくJR新橋駅から東口にでると、立ち食いそば屋の名前が「ポンヌッフ」という時点でただ事ではないなと気を引き締める。フランスのパリにある橋を思い出すよりは、妖怪「ぬっぺふほふ」の方を思い浮かべてしまうな。
かつての「国際マーケット」があった場所には現在、新橋駅前ビルが建っている。東京都が「国際マーケット」を引き継いだ「新橋駅前マーケット」を含む周辺のゴチャゴチャとあった飲食街やらをまとめるカタチで再開発したビルで完成は昭和41年(1966年)。道を挟んで1号館と2号館に分かれている。再開発時に店を手放した夏目伸六が後にこの建物を見て「見違えるように立派になったけれど、これでは立派過ぎて、親しみが薄いのではないかと云う気がした。」と書いているように、ちょっと冷たい印象を受ける建物である。尚、王長徳は再開発の話がでた昭和32年(1957年)にとっとと東京都に土地を売り払い13億円の巨利を得ている。ゆりかもめ乗るときに見たことはあっても入ったことは無い人が多いんじゃないかな。
と、ここで地上から真っ直ぐに建物には向かわずに、一旦地下に降りる。今回の店もまたというか地下なんである。
地下から駅前ビル入り口を入るとすぐが今回の店なんだけど、ほぼお初の場所となれば渡辺篤史よろしく建もの探訪をせねばならないだろう。というわけで一旦店はスルーして奥へ進む。
案の定というかニュー新橋ビル同様飲み屋だらけ。しかしどうもあちらよりもうらぶれたダーク感が漂っているのは建物の造りが原因だろうか。この新橋駅前ビルは地階以外には池波正太郎が通ってたという「ビーフン東」や、ナポリタンで知られる「カフェテラス ポンヌフ」なんかもあるんだけど、申し訳ないが地下だけ光と影でいうと影の側っていうか。嫌いな雰囲気ってわけじゃ無いんだけどね。特に客引きのようなものも無く、客も店も勝手にやっている野放図な感じが闇市の後継に相応しくはあるし。途中には路地的なものもあり、闇市伝統のといった一坪飲み屋もあったりする。
2号館の地下にも飲み屋があると聞いていたので、そちらへも足を伸ばしてみると、闇市系の本でよく紹介されているのと全く同じような感じで一坪飲み屋がミッチリと並んでいる。おそらく「国際マーケット」の頃から引き継がれてる店舗形式なんだろう。そういう意味じゃ文化遺産っつってもいいかもしれない。1号館の方に足を踏み入れることはあってもコッチはまず来ないだろうし、知られざると言っていいな。
こっちの写真を撮りに行ったのは昼間だったんだけど、すでに営業中の店舗がチラホラとあった。リーマンの街だけど、ここらの客はそうじゃないみたいだな。
てなところで建もの探訪は終了。1号館地階入り口に戻る。
さて今回紹介する店は、入り口から入って正面にある「パーラー キムラヤ」。ビル完成後、店舗が入居し始めた昭和42年(1967年)から続く老舗“パーラー”だ。リーマン天国であえて“パーラー”にこだわって続けているってところがイイんだ。店の前に行くといかにもなショーケースが二つ並んでいる。しかし、看板のキムラヤの文字が八十年代のスラッシャー映画のタイトルみたいなのは何でなんだ。
周りをあちこち探索した後、最初にいざ入店となったのは仕事帰り(7時半くらい)だったんだけど、外から覗くと妙に混んでいる。しかも女性が多い上に常連っぽい人が多い。リーマン天国なのに。まぁちょっと年齢層高めではあるんだけど。
入ってみると、女性で混んでいるのが何となく分かるイカにも“パーラー”でレトロな内装。そしてメニュー。リーマン天国で“パーラー”って辺りで希少価値が出ているようだ。上の写真は店の迷惑にならない様、空いてる時間にもう一度来て撮ったもの。紅白カラーの椅子がオシャレだ。そして、ウエイトレスの女性たちはやはりそれっぽい制服を着ている。お約束の水槽もしっかりとあるんだぜ。裏っ側からでなんだけど。
席に着き腹も減っていたので、男は黙ってエビピラフと思ったが、すでに売れきれ。うーんと考えていると当店の人気メニュー「チキンライス(オムライス風)」はいかがと言われたのでそれにする。数年前に亡くなった前の店主(創業者)が元々コーヒーや果物の缶詰などの輸入食品の販売をしていたそうで、モノにはこだわりがある店とのこと。ウエイトレスを除き、基本家族経営であるらしく、厨房では前店主婦人とその息子さんがテキパキと調理をしている。息子さんが現店主ってことになるのかな。
やってきたチキンライスはなにやら懐かしい風情。口に入れてみてもヤハリ懐かしくシンプル極まりない味。グリーンピースの味が目立つオムライス(名前はチキンライスなんだけど)ってのは久しぶりだ。多分伊丹十三の映画『タンポポ』の影響だと思うんだけど、それ以降トロリとしたとか矢鱈にこねくりまわしたオムライスが幅を利かせているが、個人的にはこういう昔ながらのシンプルなやつの方が好みだ。
空いてるときに注文したプリンローヤルとレモンスカッシュも頑固なストロングスタイルのレスラーといった感じで、全く時流に阿るといったところが無い。プリンローヤルにはしっかりと赤いチェリー。レモンスカッシュは生で絞ったものを加えた本格的なものだ。伊達に“パーラー”と名乗っているわけじゃないんである。であるのに価格も含めてハードル低めってのがこの店の真価なんじゃなかろうか。10時までやってるってのも仕事をしてる人間にやさしくて結構。
「パーラー キムラヤ」は外観や内装から一見「昭和レトロ」な店なのかなぁと思ってしまうが「昭和正統派」な店といった方がいいだろう。キッチリと仕事をした上での、この変わらなさに惹かれて訪れる女性が多いのも納得である。店内にはリーマン天国新橋、そして闇市の後継である新橋駅前ビルに漂うオヤジ瘴気は入ってこないので、そういうものから逃れられるオアシス的な場所となっている。全面喫煙ってのがまあそのなんだけど、この辺は「昭和」なんでしょうがないかな。
パーラー キムラヤ
住所:東京都港区新橋2-20-15 新橋駅前ビル1号館 B1F
電話:03-3573-2156
定休日:日曜・祝日
営業時間:平日7:30~22:00 土曜日11:00~19:00
東京都港区新橋2丁目20−15
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