今回紹介するお店は神保町にあるのですが、神保町の“神保”は元禄2年(1689年)に戦国大名でもあった神保氏(光栄のゲーム『信長の野望』でとっとと居なくなる大名として著名)の一族である旗本・神保長治が屋敷を賜り、その邸地の前後の道をそれぞれ表神保小路、裏神保小路を呼ぶようになったことから来ているようです。
しかし、この神保家、周辺の大名・旗本と比べるとそれほど大きな邸地ではないので、何で道にその名前が付いたのかはイマイチよく分からないんだそうです。で、明治5年(1872年)に新政府も何故かその名前を引き継ぎ、南・北・表・裏神保町を誕生させます。“神保”が町の名前になったのは明治からなんですね。しかも、何だか由来はハッキリとしないズルっとした感じというか。
“町”となったものの、明治20年頃までは人通りが少なく「化物横丁」なんて悪口を言われるような場所であったらしく、落語の『王子の幇間』なかでは“新開(新開地の意)”で狐や狸が出るような、なんてことを言われちゃってたり。一応、明治11年(1878年)に出来た神田区の内ではあるんですが、“神田”といっても江戸の頃から神田明神の氏子であった地域とは、明治からということでちょっとカテゴリーが違うんです。
それが変化するのは明治20年以降に、土地が余っているような場所だということで、後の明治大学を筆頭とする学校がどしどしとやってきてから。このことで、大学を中心とする文化的なものの担い手達が、近場で必要なもの(本とか)をそろえたり、胃袋を満たしたりする場所として発展していくことになるわけです。大正に入ってさらに岩波書店がやって来て出版的な方面も追加され、街としての発展がさらに促進。おまけに学校(文化学院)もまたまたやってきたりして、その後の関東大震災も乗り越えた後には、他の地域で焼け出された出版社もぞろぞろと移転をしてくる。で、昭和9年(1921年)の復興事業の整理統合で、猿楽町と今川小路なども合わせて現在の“神保町”に。その頃には今の神保町の元になるような古本屋街になっていたと。以外に新しく、急速に発展した場所なんですね。
と、軽く歴史を流してみたわけですが、実は今まで神保町にふれてこなかったのはこの辺が関係していました。地方人が(主に学生として)東京に出てきて、それぞれの街の文化的なものに浸ることで“東京人”になるという、戦後の中央線沿線の各駅なんかに引き継がれていく型の元が神保町だったと言ってもいいんです(古くは本郷三丁目がありますが、現役ではありませんので)。ある人達にとってはアイデンティティーのになっているということでは、正直面倒な場所なんですよね。ある沿線がハイソみたいな幻想を持っている人同様に面倒だという。まぁ、自分が昔散々来ていた場所でイロイロありすぎるというのもあるんですがね。
といっても、ふれないままというわけには行きませんので、どこから攻めるかと考えて取っ掛かりとして持ってきたのが今回の洋菓子「柏水堂」です。甘いもんにヤヤコシイも何もないっていうわけです。洋菓子店なんですが、喫茶室もあるということでカフェとしての紹介となります。というわけで、以下よろしくどうぞ。
そのお店、洋菓子「柏水堂」は地下鉄・神保町駅から地上へ出るとすぐだったりします。と、いきなり店に入ってしまうのも何なので、ちょっとお店の歴史からふれて行きましょう。
洋菓子「柏水堂」が開業したのは昭和4年(1929年)。といっても当時は“洋菓子”は付かず、フレンチレストラン。そのデザート部門が後に本業になったようです。しかも場所も現在の靖国通りとは違い、白山通りの方にありました。上の画像は昭和26年(1951年)の東京案内本のものですが、現在の地下鉄神保町駅出口A4番付近にあったことが分かるかと思います。
神保町駅(東京)
昭和47年(1972年)の都営線工事の時にこの出口が出来たのですが、その時の立退きで現在の場所に移転したというわけです。移転時、柏水堂は都内のデパート等にいくつか出店もしていた関係で休むわけにもいかず、夜を徹しての引っ越しを敢行。朝方にはケーキを作り始め、普通に納入するという離れ業をやってのけたとか。
流石にフレンチレストランの頃の話は見つからなかったのですが、前の店舗だった頃の様子はいくつか資料がありました。昭和28年(1953年)発行の味覚案内本・読売新聞社会部編『味なもの』(店によって筆者が違うグルメリポートのようなもの)には以下のような文章があります。
神田神保町から水道橋に向かって左側二、三軒目の大理石の飾り窓がある店。そのかみは宮内省御用達、いまでも宮家はオトクイ様で、順宮様の御婚儀のお菓子も、皇太子様のお口に入る光栄を得たサヴァリン(注:現在もある「セ・アルジャン(サバラン)」と思われる)もこの柏水堂のものとのこと。その独特のクッキー、ショコラ、季節の果物をそのまま使ったフルーツキャンディーなど特徴で、<中略>洋菓子といえば柏水堂とヒイキにしております。
店主の吉田金次郎さん(名前に似合わぬモダンな感じの中老紳士)は昭和四年、遊んで暮らせた身分だったのに何か世の中の人を喜ばせるようなことをしたいと、ご道楽に喫茶店を開き、爾来お菓子は良心的にと、チョコレートはオランダから、ラム酒はフランスから、卵黄は色の濃いものを日本中さがし歩いたり、とにかくコリにコッているそうです。
この執筆者は「三宅邦子」となっているんですが、小津映画の常連だった女優の三宅邦子でしょうか。実は小津安二郎もこの店を贔屓にしていて、小津が残した“グルメ手帖”に店の名前が出てきます。
また、出版社が多い土地柄故、文士の贔屓客も、太宰治を筆頭に、三島由紀夫、松本清張、等々(三島、清張はシュークリームのファンだったとのこと)。向田邦子もここのケーキを大変贔屓にしていたことが、妹である向田和子が書いた『向田邦子の恋文』に書かれています。最近ですとねじめ正一氏の小説に登場したり。
上の文章に今上天皇と順宮様(今上天皇の姉にあたり、その結婚で皇籍を離脱された)が~ということが書かれていますが、政治関係では吉田茂の娘・麻生和子(吉田の秘書もしていた)が贔屓にしていたらしく、どっちの影響なのかわかりませんが、外務省関係者ではここのケーキの愛好者が多かったとのこと。母親の麻生和子が好んでたということは、麻生太郎氏も結構口にしていたんでしょうね。
書かれているように初代の吉田金次郎は浅草の素封家の出身。関東大震災で家の井戸が多くの人の助けになったことから、家紋の「柏」とその井戸の「水」を合わせて「柏水堂」と名づけたとのこと。震災体験が開業に切っ掛けになったんですね。
さて、何とか旧店舗の外観は無いもんかと探したのですが、『味なもの』の続編(ですが筆者は一人)で、次の年に発行された『うまいもの』の中に何とか見つけることができました。えらく小さい写真なんですがね。なお、この『うまいもの』を書いた多田鉄之助はグルメライターの走りのような人なのですが、柏水堂のくだりでは「失礼だが神田にこんな本格的なものが、どうして存在するかと疑う程のよい出来栄のものである。」「柏水堂の菓子の様な、利害を超越して、よい菓子を作ることのみに精進しているのを見ると、衷心から、敬意を表して、頭が下がってしまう。」と大絶賛です。
旧店舗の時にも“喫茶室”はあったようで、『味なもの』で三宅邦子が初代が「喫茶店を開き」と勘違いしたのもこれが原因かもしれません。この“喫茶室”の常連としては作家、エッセイストで落語・歌舞伎の評論の方でも著名な安藤鶴夫が以下のような文章を残しています。
古い馴染の店である。九段にあったアテネ・フランセに通っていた頃、一日おきにやってきては、ここでコーヒーを飲んだ。
斎藤磯雄がボオドレエルを論じ、いまはなき近藤光治がプルウストを語ったのも、この店である。
斎藤磯雄はヴィリエ・ド・リラダンやボードレールの翻訳で知られる仏文学者、近藤光治もマルセル・プルウストの翻訳(斎藤磯雄と共訳)等をした人物で、両名とも安藤鶴夫とは大学の同期。合わせて「三藤」と呼ばれるくらい親しかったそうですから、柏水堂にも三人でよく来ていたのでしょう。キチンと神保町らしい文化的なものも背負ったお店でもあったんですね。安藤は戦後も娘と連れて来店していたようです。
老舗の洋菓子屋であることに加えて、こういった神保町の名店らしさも併せ持つ「柏水堂」の店主は現在三代目になっています。数年前に引退していた二代目が火事でお亡くなりになるという不幸もありましたが、それを乗り越え、現在も両方の風格そのままに営業しています。
現店主と店主婦人らしき女性は店頭でちょこちょことお見かけしたり。因みに、羽海野チカのマンガ『ハチミツとクローバー』に出てきて、現在一番人気のプードルケーキを創作したのは現店主婦人なんだそうです。店の雰囲気とともに、こういった息の長い商品を大事し、目新しいものだけに飛びつく一部のスイーツ好きの人達に媚びずにやってきたことで、逆に価値が出てきたお店だと言えるでしょう。
この辺でお店に入りましょう。先程、店の場所は地下鉄・神保町駅から地上へ出て直ぐと言いましたが、A5番出口から東へちょっと歩くと看板が見えてきます。古本好きが説明すると自然科学系の本を扱う明倫館書店の向かい、浮世絵から美術書を扱う山田書店の隣りといった感じになります。
この店の喫茶室はそれほど広くないので満員じゃないかと心配しましたが、時間を外してきたので席は大丈夫のよう(席の予約は可)。喫茶室の利用であることを店員さんに告げ、ケーキを選んでから席に付きます。常連の人はケーキの名前を覚えているようで、喫茶室で注文していたり。
席についてからメニューを見ながら、飲み物を注文。しばし待った後、飲み物と共にケーキがやってきます。今回頼んだのはモンブランとプードルケーキ。モンブランは個人的に好きということで選んだんですが、プードルケーキはやはり現在一番人気ということで頼まない、というわけには行きません。どうも撮影時に緊張でもしてたのか、ケーキにフォーク食い込ませちゃってます。
正面からはこんな感じ。つぶらな瞳なので、食べていいのかという気分になります。しかも、中には赤いストロベリージャムが入っていたりして。子供の頃に散々胸焼けした覚えがあるバタークリームで作られているんですが、何故かサッパリとした後味。どうも、創業時から守っている素材の良さが理由のようで、この辺は風格ってもんでしょう。それにしても細かい細工です。そういった職人の仕事も押さえて置きませんとね。
モンブランの方は上品な甘さなのに妙に濃ゆくて美味しい。その秘密は黄色い栗のクリーム部分にサツマイモが混ぜてあるからだとか。そして、そのクリームの中にはかなり甘さが控え目な生クリームが入っています。一見、素朴なカタチだなと思ってしまいますが、プードルケーキ同様の丁寧な仕事がキッチリしてあるわけです。
そして、合わせて注文したマロングラッセ。贈答用として有名な逸品なのですが、喫茶室でも頼むことができるんです。砂糖がしっかりとまぶしてあり、少し固めな口当たり。しかし、よくあるのラム酒効きまくりのものとは違い、その辺は上品に押さえてあります。和菓子っぽさというか。値段もお手頃で何個も行きたくなる感じで、ちょっと危険です。
このマロングラッセと皇室御用達のサバラン等に使うラム酒はジャマイカ直輸入。こだわりまくりの柏水堂は、チョコレート関連(ガトーショコラ、チョコレートのセット等)に使うカカオもドイツからトン単位で輸入しているんだそうで、実際食べてみると、非常に濃厚な味がします。チョコ好きの人はそちらを攻めてみるのも良いでしょう。
菓子ばかりでなく、喫茶室の方の紹介もしましょう。旧店舗は震災復興期に建てられただけに、当時の流行だったアール・デコ調の洋館建築だったそうですが(上の写真だとイマイチ分からないんですが)、現在の喫茶室のランプ・ステンドグラス等は、移転時に細心の注意をはらって旧店舗から移されてきたものなのだそう。そういえば以前紹介した喫茶店「ショパン」にも旧店舗から引き継ぎのステンドグラスがありましたね。現存のアール・デコの建物として有名なものには柏水堂近くの学士会館、同じく近くの山の上ホテル旧館などがあります。
ランプシェードが、そういった辺りで、いかにもといった形をしています。
シャンデリアも同じく旧店舗からのもので、撮影時は昼間だったので点いていませんでしたが、灯りの色は落ち着いた水色。
椅子の色は、それに染められたような青い色をしています。全体的にファンシーになってもおかしくないのに、なっていないのが流石です。ウエイトレスさんの制服もクラシカルで清潔感があり、最近始めた喫茶店なんかでは、中々こういった雰囲気は出せないでしょうね。
店を出る前にショーケースを眺めてたりして。次に何を食べようとなるのが定番が多くある老舗のケーキ屋の良いところです。唯一のこのお店の欠点は営業が19時までってことですかね。働いている人は平日ちょっと難しいという。
といったわけで、神保町の取っ掛かりの店としてセレクトした洋菓子「柏水堂」。その老舗としての懐の深さで、広い層を受け止められるという意味では間違いは無かったんじゃないかと思います。以前は小川町の神保町寄りに「エス・ワイル」というスイス風洋菓子のお店(昭和30年創業)があったんですが、春日に移転後に閉店してしましました。古い洋菓子店はこの辺だと柏水堂だけになってしまったんですよね。
しかし、柏水堂にはその心配はなさそうです。古くからの常連に加えて、羽海野チカ効果での若いお客さんも増え、今後もお客さんが途絶えることは無いでしょう。良いお店が正しく再評価されてお客さんが増えるというのは、傍目からしてもなんとなく気分がいいもんです。ただ、ちょっと読書には向かないお店なので、本目当てで神保町に来た人は本を漁ってから、その帰りに寄って買うってのが吉かと。
洋菓子「柏水堂」
住所:東京都千代田区神田神保町1-10
電話:03-3295-1208
定休日:日曜・祝日・年末年始
営業時間:9:30~19:00
最寄り駅:地下鉄「神保町」駅
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2015年3月31日にて閉店の貼り紙に言葉を失いました。涙がこみあげてきました。すてきなお店でした。あくまでもおいしさを求められていることが口にしたときに分かるのです。心にしみる味わいなんです。けっしておしつけがましくはなく。ですから店の前を通るとつい手が出てしまう。永久に存在するものと勝手に思っていました。事情は分かりませんが今まで愉しませていただいたことに只々ありがとうございましたとお伝えしたい。