前回に続いての神田駅周辺である。
神田駅の歴史に続けての~ということで、今回はお馴染みの闇市ネタをマクラにしたい。
さて、神田神保町や須田町(連雀町)が戦災(というか空襲)での焼失を免れたってのも何かでふれたように思うが、神田駅の周りはどうかっていうと、西側もそれなりにヤラレたんだけど、特に東側の鍛治町の一丁目から二丁目なんかは思っきり丸ボーズになっちゃったんだそうで。
といっても何しろ東京の一等地だ。戦争が終わると外地からの引揚者なんかがドシドシと流れ込み、あっという間に闇市が出来上がる。どうも国鉄が満鉄関係者をここらに来るように斡旋したっていう話もあるんだけど。以前紹介した今川小路(最近だとあまちゃんにも出てきたね)もそういった経緯で後に(元あった竜閑川の埋め立ては昭和23年から)出来た場所で、やはり満州引揚者である浅丘ルリ子が一時期住んでたりしたなんて“伝説”もある。
この神田駅の闇市、そこら一帯にのペッとあったわけではなく、駅の東側にほっそく長く、靖国通りから今川小路の辺りまで(つまり竜閑川まで)、店舗が一列(もしくは二列)になってず~と続いていたようで、この辺は有楽町にあったすし屋横丁とほぼ同じような感じですかな。物品よりは食い物ってのも含めて。
あちらとは違って地味な印象ではあるんだけど、神田にはキッチリとした地域社会があった関係で「解放区」とはならなかったのが原因なんでしょね。他の闇市と違ってイマイチ三国人系の方々のご活躍もなかったようだし。
さて、その神田闇市。もちろん食い物オンリーではなく、戦前に電気関係の問屋もあった関係で千葉の旧軍施設から出た電気部品が流れて来て、神田駅の北、つまり須田町の辺りにはそういったラジオ関係のパーツを扱う露店が並び、まぁ説明の必要もないかと思うが、これが秋葉原電気街の源流となるわけである。
そういったご禁制品とは縁のない電気部品や食い物屋台ばかりだったのが幸いだったのか、この闇市は昭和24年(1949年)の露天撤去令もくぐり抜け、昭和32年(1957年)くらいまで生き延びていたらしいんだけど、流石に邪魔だっつーことになり(物資も出回り需要も落ちたってのもある。もともと素人商売の食い物屋だしね)、撤去へと。
この撤去となった飲み屋やらがガード下に潜り込み、代替りしつつも現在も続いているというわけだ。神田の飲み屋は正しく闇市の後継なのである。新橋もそうだが、酒飲みがこういった闇市の残り香があるような場所に惹かれるってのは何故かってのは、このシリーズのなんとなくのテーマ(別に追っかけはしないが)ではあるんだけど、果たして今回紹介の店はどうなんでしょかと。
何時もは歩いて神田まで~となるんだけど、ややお疲れ気味であったのでメトロで淡路町まで。と、妙に早く着いてしまい、CUE氏を待ってしばらくウロウロすることになった。
一応、目的の店はチョイスして来たので、そこを軽く偵察をした後は、純粋にただウロウロしてみる。こういう目的の無い行動に幸せを感じる。神田だっつーのに、オサレなロハスレストランを開いちゃってガラガラな店を眺めたりなんかして。しかし、最近居酒屋にカフェバーを混ぜ込んだような店(たまにロハス臭プラス)、やたらと増えたね。
とかやっている(何もやってないが)うちにCUE氏からメールが来たので、前回同様に工事で何だかよく分からないことになってる神田駅へ向かい合流。
すぐにチョイスした店に向かうかというとそうではなく、その前に両名共に行ったことが無い、最近評判の鳥貴族とやらに行ってみようと、まずはそちらへとGO。
こういったことをやっているとチェーン系は守備範囲ではないんじゃね、というかこういったものを好きな人は大概嫌いなんじゃね、という一般的な固定概念がどうもあるようだけど、オレ・ワタシの思うオサレな店、といった辺りにコダワル人みたいなオカシナ選民意識のようなものは無いのでドミトリードントコイなんである。ただ、紹介するにはパンチが無いっつーだけでね。
で、行ってみたんだけど~全然入れねえ。若者来すぎである。まぁ金曜日だしな。30分ほどダベりながら待ってみたものの、全く入れる様子が無いので速やかに脱出。たまに毛色の変わったことしようと思うと、これだ。大人しくオッサンモードで行けということだろうか。金曜日入れないような店ということだけでも分かったので良しとしよう。
てなわけで、気分を変えての一軒目。神田駅北口から一分もかからない、せせこましい路地裏にある「味の店 居酒屋 鶴亀」である。
“居酒屋”と名乗っているものの、造りは完全に一昔前によくあった駅前の飯屋といった風情。入り口がアルミサッシで丸見えなもんで、偵察時にちょいと覗いてみたところ、内装・客層ともに申し分なしの心地よく砕けた荒み感があり、これは良い店かもしれないという雰囲気があったので、ちょっと期待しての入店である。
と、お約束のようにオッサンだらけの大磯ロングビーチ水泳大会。どうも「大越」「升亀」よりもダメ度が高めというか、正しさが低めなのが大変よろしい。すぐに席へとご案内となるが、一階が一杯ということでということで二階へと通される。一階の雰囲気良かったんで、チト残念である。二階への階段はエライ急角度で元々は住居か何かだったのが丸わかりだ。
二階は案の定こざっぱりとしており、内装からして店舗にリフォームしたのはそれほど古くはないようだ。下の階は如何にも神田といったようなオッサン店員達が仕切っていたが、二階は中華系女子とパート風婦人(だけど多分同じく中華系)のコンビがやる気があるんだが無いんだがよく分からないつげ義春な表情固定のまんま接客をしている。うん、二階も悪く無いかな。客層は一階とやや健全度が高めのリーマンの飲み会グループが多い。でも見事に白シャツだらけ。
とりあえずビールコールの後にメニューを見てみると、妙に中華色が強い。というか中華屋じゃね。ピータンとか普通の居酒屋無いよね。ということで、流れに身を任せビーフンを注文。ビーフンって最近中華屋でもあんまり見ないような気がするしな。他、居酒屋らしい煮込みや串盛り合わせ等を追加して様子を見てみることにする。
煮込みはビールと共にとっととやってきたので、『キッズ・リターン』話を中心に~というモロ師岡モードに突入しつつ、他の品を待つ。何しろあの映画に出てきた店そのまんまな雰囲気なのだ。CUE氏は乾いた活気感と表現していたが、70年代生まれの人間はその(“貧しさ”なんかも含んでの)匂いが溢れていたころの記憶がギリギリあり、それが上書きされていく80年代に育ったため、こういった場所に郷愁に近いものを感じてしまうのではないかと考えたり。
と、話をしつつ店内を眺めていると、やっぱりというか窓枠を潰した跡がある。そして壁にある棚に謎の機器が。
二人して有線だ、ネズミ避けだと議論になったが、名前からネットで調べてみたら空気清浄機であった。そして、アホみたいな値段に驚愕する。波動やらなんやらのトンデモ系なのかもしれんが、何か騙されちゃって買っちゃった感じがこの店に合っている。実は昭和は今よりもトンデモが大手を振って歩いていた時代でもあった。
とかやってるうちにビーフンが到着。紅しょうがも鮮やかに、さらに桜えびで味の補強をしてあるという何やら懐かしい感じだ。味付けもどこの駅前にもあった中華屋そのまんまである。ツマミにもなるよ、という。
色々と一緒に来た中の軟骨揚げも味付けが絶妙。飲み屋で揚げ物がダメだとどうしようもないからね。というか、他のものも全般的に味付けが非常にヨロシイ。ダテに「味の店」と名乗っているいるわけじゃないっつーことですな。
ここでCUE氏がメニューの梅酒が“自家製”なのに気付き、それを注文。
で、やってきた梅酒ソーダ割りはコレまた懐かしい色合いで、馴染みな感じの梅が浮かんでいる。実家のと同じだとCUE氏が言うので、少し飲ましてもらったら、確かにホワイトリカーと氷砂糖で昔はどこの家でも作ってたヤツだ。蓋の赤いデッカイビンで。というか市販されているヤツより甘さ控えめなんで、ソーダ割りにすると美味いのね。
ここで何故か革ブーツで接客する中華店員が追加でたのんでいた餃子を持ってくる。トドメといった感じにド定番なスタイルの餃子すぎる餃子である。
皿も妙に分厚い~というか、出前で割れないように昔の中華屋のセトモノはこんなんが多かったんだよね。と、その皿の端を見ると“中央亭”とある。
やっぱし元は中華屋なのか?でも、場所的に“中央”ってなんの関係があるのか。ここ中央区じゃなくて千代田区だし(今川小路が中央区との境)な。この辺り、CUE氏とも話になったが、もしかすると闇市、満州的なものと直結している店なのかもしれない。まっ、謎のままの方が面白そうな話ではある。
ちなみに写真奥の食いかけはソーセージ炒め。業務用のくそショッパイヤツでコレはコレでなかなか良い。
その他、ネタとしては「ピスタチオ」が「ピスタッチオ」になってる等あったが、このように全体として評価高めのまま、予定していた次の店へ。
で、次の店もまぁ良かったんだけど、この「鶴亀」のキッズ・リターン的な印象が強く、これはもう一度一階で飲まんと真価は分からんかもしれんと、そっちの店の感想は吹っ飛んでしまったのである。再戦せにゃね、という。
そんなこんなでしばらく開いた後の木曜日、「鶴亀」へ向かうと前回の金曜日ほどの混み具合ではなく、店内が見渡せる、まるで用意して置いてくれたような端の席にご案内となった。目の前には自家製梅酒のビンがドーンとお出迎え(謎空気清浄機もあった)。
そして、客層はやはりというか前回と違い、リーマンに黒っぽい人達が混じって、何か全体的に灰色な感じになっている。これは二階のみだと分からんかったな。
しっかし、都心の一等地である神田に居るとは思えない雰囲気である。前世紀のどこぞの微妙な駅前の中華屋にホントそのまんまで、タイムスリップでもしてきたような妙な感覚のまま、酒やツマミに手を伸ばす。しかし、「ピスタッチオ」はなんの変哲もないピスタチオであった。植田まさしのスカシ四コマかよ。
そして、今回注目の中華メニューは大蒜の芽の炒めもの。これも昔の中華屋には良くあったけど、最近見かけない品である。これも大陸からの引揚者が広めたとも言われているんだけどね。味付けも文句なし。
他、スルメやら、唐揚げやらを自家製梅酒ソーダを飲みつつやっつけながら、トークは中沢新一からジャーニー (ロックバンド)という相変わらずのよく分からない広さと脈略の無さであったが、目の前がカウンターってのもあり、当然のように中華系店員の接客を見ながら、といった感じとなる。
で、それの質が高いのだ。それぞれが自分で考えて行動しており、チ○ラめしとは大違いである。正直、メンドクサそうなオヤジが多いのにね。マニュアル接客は何かと考えさせされる。と言った流れで、CUE氏がレジがPOSレジだと言う。
見るとなるほど、確かにそうである。どっかにデータ送ってんのかは知らんが、色々とストーリーが浮かんでくる。闇市で中華料理屋から始めて(中央区である今川小路でね)、現在は別に事業をやってるオーナー的な人が居て、昔を忘れないように今もこの店に関わってるとかね。単に中華系方々の管理のためかもしれんけど、ソッチの方が面白そうである。
というわけで、二回来て何やら掴んだ感じの「味の店 居酒屋 鶴亀」。味良し、接客良し、雰囲気良しで、神田でのローテーション入り決定である。神田の定番店である「大越」と「升亀」の間に挟むと丁度良いかもしれない。
背景含めて噛むとしっかり味が出てくるって辺りで、一人カウンターでキッズ・リターン的な匂いに包まれつつ、自家製梅酒ソーダ割りを片手に中華を食うってのも良いだろう。何にせよ、妙な懐の深さがある店なので、用途を問わずオススメできる。どうせなら、モロ師岡よろしく、誰かを堕落させたい時に使ってみるってのはどうですかね。
味の店 居酒屋 鶴亀
住所:東京都千代田区内神田3-21-2
電話:03-3251-0552
営業時間:16:00~24:0(土曜祝日は23時まで)
定休日:日曜日
東京都千代田区内神田3丁目21−2
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