母は子どもの頃、近所の染物屋の息子で二歳年下の渡辺金太郎というにぎやかな子どもが、ラッパを吹いて火の用心の夜まわりをするのについてまわったことがあると話していた。母の妹の松と同級生で本郷の誠之小学校の生徒だった渡辺金太郎は、のちに落語家になって春風亭柳橋という芸名で知られた。私にとっては叔母である母の妹の松は、「あの子は子どものときからハイカラ好きで、楽隊のまねごとをしていたし、子どものときからおかしげだったから、噺し家がちょうどよかったんだね」といっていた。明治の本郷には三丁目を中心として、寄席や劇場がいくつかあった。寄席の“若竹”と、芝居を見せる春木座、のちの本郷座は関東の大震災の頃までは、本郷らしい落ち着きのある娯楽場として知られていた。若竹は震災後は復興せず、本郷座は昭和になると映画館になって西欧映画、特にヨーロッパ映画を上映して、セカンドランとして学生や知識層の客を集めた。明治末の本郷三丁目界隈は、東京帝国大学と第一高等学校からくる知的でモダンは雰囲気と、江戸時代以来の、山の手と下町の中間、いいかえれば武士層と職人、中小商人の入りまじるところとしての雰囲気があって、それが、楽隊好きの落語家・春風亭柳橋をはぐくんだ環境になっていたと思える。
この文章は江戸~東京の事をアレコレ調べ始めると、必ずその著書にふれることになる紙芝居作家であり評論家(編集者でもある)の加太こうじのもの。
かつての本郷といった辺りは何度か書いているのだが、この場所(“街”とは呼びにくいトコロも含め)非常に分かりやすい二面性を過不足無く伝えることの出来る良い文章だと思う。
加太こうじの文章はかつてのキラキラとしたものをシッカリと伝えてくれるのだが、現在の本郷はハッキリ言って場末であると言い切ってしまって良い場所だ。しかし、場末故~というか現在の東京のある側面を語る上では非常に現在(いま)が面白い場所なのだ。そういったものを切り取る場合ドラスティックな側面で湾岸のようなトコロを切り取るというのは分かりやすくはあるのだけど、むしろこういった一見どんよりと停滞しているように見える本郷にこそ将来のリアルがあるのだ~って何か胡散臭い口上師みたいになってきたところで、とっとと参ります。
と、盛り上げてしまったものの初手からガツーンとゲットワイルド~というわけでもなく、普通にまぁ分かりやすく本郷三丁目交差点からスタート。
この本郷三丁目交差点、羊羹の藤村の時なんかに取り上げてますので基本はスッ飛ばしますが、かつて市電が走っていた頃の交通規制がそのまま残っているのか右折禁止だ、っつーのは書いてなかったかな。交差点北西の角にある交番にスピーカーが付いてて、よく標識を見ないで右折しようとした車が「右折できないよー」って注意されている(強引に曲がると捕まる)。
金魚坂に行くにはその交番の前を通って本郷通りを北へと向かう。
本郷薬師門前と通り過ぎてちょっと行ったトコロにある駄目な高度成長期的斜陽感があるビルの横の坂~菊坂を降りて行くわけだが、このビル~文京センタービル(現在建て替えのためか立ち入り禁止)の建つ場所には明治時代には日本最初期の百貨店(勧工場)のようなものがあり、その後は大正になって宇野千代がウエイトレスをしていた燕楽軒という西洋料理屋なんかが出来て、彼女を目当てに有名作家(芥川龍之介、菊池寛、久米正雄、今東光、宇野浩二ら)が出入りしていたというのは大概の本郷紹介的なものには書かれているのでご存知の人も多いかと思う。
余り知られていないって話ではすっとこアナーキスト・和田久太郎がコントのような狙撃事件を起こした場所でもあるというという辺りだろうか。
貧困家庭に産まれ病気にかかっても闘病する金もないため小学校もろくに行けなかった和田久太郎は、丁稚奉公をしつつ実業補習学校(労働の必要から普通校に通えない未成年者のための学校)で学問を身につけ、出自でもある底辺の人々への愛着から当然といった流れで労働運動へと身を投じて行く。
そういった流れから大杉栄の同士となり彼を支えて全国各地へ飛び運動を広げようと奮闘。しかし、大杉は関東大震災後の混乱の中で憲兵大尉・甘粕正彦によって虐殺されてしまう。
復讐を誓った久太郎は虐殺当時に関東戒厳司令官だった福田雅太郎が燕楽軒で会食することを知って待ち伏せ、店前にやってきた福田にサササと近づき至近距離から発砲するものの、事前に拳銃の使用法も確認しないという杜撰さで実行したため(初弾は安全のため空砲が装填されているのを知らなかった)見事に失敗。福田の同行者にその場で取り押さえられ逮捕~そのまま紆余曲折ありつつ最終的には獄中で自殺~と。
という、大杉の起伏ありまくりな~と比べてしまうとこの見事な失敗という間抜けさと共に、見た目もトガッたところが微塵も無い風貌のためか語られることが少ないんだけど、イケメン乱交の大杉と違い(というか反体制ヒーローがセックスで他人を踏んづけるのってどういうわけだか許容されているようなところがある)場末の娼婦に惚れて性病をうつされても交際を続けるなんていう純情肌というか、活動家の割に緊張感が希薄な感じの愛すべきエピソードが多い人物なので、ここらは文学ネタばかりじゃないんだよってことで(河東碧梧桐門下の俳人でもあり、獄中記なんかもあるんだけど)ご紹介。
その文京センタービルを曲がっての菊坂、樋口一葉女史を含む文学ネタは別にここで取り上げなくても他でいくらでもあると思うんで割愛。菊坂の実態(現在)ってのが冒頭でもふれたマクラネタである。
〒113-0033 東京都文京区本郷菊坂
本郷通りから言問通りまで北西方面へやや曲がりながら下っていく700メートルほどが「菊坂」と呼ばれるわけだが(通称のようなもので、ややこしいことに正式には別途「菊坂」という坂がある)、通り自体も坂な上に北側から南側へと結構な高低差があり、その中間をヨッチラヨッチラと抜けていくという感じになっている。開けた土地が殆ど無い故に住居も道も狭々しい。細い坂にさらに細い坂が繋がってるような感じなんで坂マニア的にはたまらない場所なんでしょうが。
貧困の末におっ死んだ一葉女史含む文学者の影がアチラコチラにってのは、こういった事情により日常生活的にはかなり不便な場所だからってのがあるわけなんである。部屋を借りるにしろ賃料が安かったんですな。安価な下宿街でもあったってのもこの辺りの事情(コチラも高低アリ)。大きな通りに出るには上がるか下がるしか無い。であるけれど、繁華な(当時)本郷三丁目交差点が近かったという。
ちなみに一葉女史が住んでいたのは菊坂から更に南の一段下がった通りでかつては用水路でもあった“菊坂下”。高低差はそのまま山の手と下町の差異でもあるのだ。最初にふれた本郷の二面性ってやつね。菊坂自体は本当の意味でも中間という職人横丁的な位置づけで知られていたと。
こういった土地の上に本郷が戦後“場末”になってしまったためにバブルの頃も開発の波に乗らず(乗れず)に何だか諸々が封印されたように残ってしまった部分があるわけだ。
何しろ「よろず食料品店」が現存していたりするのである。コンビニに駆逐されて最近じゃ地方でも結構珍しいもんになってきたと思うんだけど、都心部ではココ以外にあるかな。なお、菊坂には別途魚屋と肉屋もギリギリ残っている。
コンビニが入り込むような場所が無い。そして、とりあえずこの土地に昔から住んでいるという老人達が多いため、移動がキビシイ彼らの買い物プラスご用聞きでやっていける(というかライフライン)ってのがあるんだろうけど、初めて見た時はちょっとビックリした。
なお、この近辺でスーパーは下っては白山通りにあるクイーンズ伊勢丹、上っては本郷三丁目交差点からチョイと南に行ったところにあるマルエツ~とどちらも結構な距離がある。しかも、ただ住んでますってだけの年金生活者にはキツイ価格設定(特に伊勢丹)。外に出てしまうと今は「山の手」という括りの場所になってしまっているのだ。都心部の庶民の味方(矛盾した表現だな)まいばすけっとも在ることは在るんだがマルエツの近くでやはり遠い。
この菊坂を見るとなるほど東京都から高齢者を地方移住させようという提言が出てくるのも何となく分かるっていうギリギリ感が炭酸水を飲んだ時のようにシュワシュワと胸で弾ける桃色の片思いなのである。まぁ有り体に言って都心部限界集落と言ったようなものが非常に分かりやすいカタチであるのだ。
戦後に下町となった場所、例えば自分が以前住んでいた江東区(同じくかつては老齢化が進んでいた)なんかは再開発、またはURなんかに混ぜ込むことで(一般的な)若者を住人として獲得することが出来るし、実際そうなっている。しかしここはさっきも言ったように一応山の手。地価的にそういった方向は難しく、そういったことでもある種のデッドエンド感が満載なのだ。
かといって新陳代謝が完全に無いってわけでもないのがアレなトコロで、菊坂周りの大通りには大きなマンションが墓場の卒塔婆のように立ち並び、菊坂自体(坂下含む)にも長屋がどんどんとぶち壊されて如何にもな打ちっぱなしの住宅や小型マンションがどんどんと建っている。最近だと下宿街の頃からあった銭湯・菊水湯も取り壊されて、現在マンションをおっ建て中である。
で、ソコの入ってくるのは分かりやすいペロンとした“富裕層”に近い人々ということになる(あくまでも近い)。今まで語ってきた事情と目立った繁華街がないことから文京区は23区内で一番治安がイイってのに惹かれてってのもあるんだろうけど、まぁかつての本郷的な意味での多様性は無いわな。で、彼らの生活って“生活感”を排除することがステイタスだから街に新たな“色”はほぼ付かない。
ついでに語っておくと、この地域の“色”を大きく担ってきた東大の変質ってのもある。最上部の教育がカネモチのサロンになりつつあるっていう辺りの話で、学生が完全に富裕層の子弟に寄ってしまったんですな。みんな野暮ったいけど良い物着てるんですよね(特に女の子)。
下宿・銭湯なんぞは必要なし。「変なものを食べちゃいけません」って教育を受けてきた良家のアレなんで本郷はジャンクフード屋が進出しては撤退するという雑飯チェーン店不毛地帯になっちゃって(去年マクドナルドも撤退)、本郷交差点の東大側では唯一オレタチノ日高屋が近隣の働くオジさんと原色っぽいメーキャップ学校学生、ボンクラ年寄り(文京センタービルにあったパチンコ屋も合わせて閉鎖となったため行くところが無くなった)の憩いのライフラインになっている。
ランチはサラリーマンにはキツイ値段設定の店にはギリギリ出没するものの、夜飯はもっとハイブロウな街へとってことで、東大生が地域に与えるインパクトはほとんどゼロ(最近、交差点の本屋も潰れた)。まぁ、東大ってだけじゃなくて今の大学って学生をどんどん囲い込んでるんで、どこもそうなんでしょうけど。
まぁナンというか地域社会の終焉というか、このモノズキ的な視点からの腐りかけの肉が一番うまい感が現在(いま)の菊坂の一番の見どころなのではないかと。
文学ネタだけでここいらを散歩するのはもったいないじゃないか~といったところで、余り突っ込みすぎてもダークソウルなトコロへと行きそうな気がしてきたので、そろそろお店の方へ移動しますかね。
今回の「珈琲 金魚坂」は本郷通りから菊坂に入って2本目の坂の上なのでそれほど歩く必要は無い。見ての通り非常に狭~い坂なんだけど、現在右手(下の写真)ではまたぞろ何か建築中なので今後はもっとその印象が強くなるだろうと思う。
「珈琲 金魚坂」は創業350年だという老舗の金魚、錦鯉の卸問屋が平成に入ってから開業した喫茶店。十年チョイらしい。喫茶店としては結構新しい。
卸問屋としては江戸初期と言ってもいい頃だからかなりのもんである。化政文化で金魚飼育が町人文化になる前からってのはどうも現在東大になっている加賀藩邸からの需要があったからとのこと。加賀藩は政策的に文化には金をドブドブだったからね。それで近場の職人通りでもあり、水の手がある菊坂でということだったらしい。
で、ずーとそっちの卸オンリーでやっていたらしいのだが、現在七代目という女性店主が旦那さんが亡くなったのを機会に、こういった空間が業者しか見ることが出来ないというのはもったいないんじゃないかとうことで、壁の一部を取り払って一般販売も開始、ついでに喫茶店も開業という流れと聞く。
「都会のオアシス」なんてのはベタな言い方だが、確かに山の手線内とは思えない風景がみっちりと建物が詰まった街中に突然とあるので、始めてきた時はちょっと驚いた。一般開放したのは慧眼と言うべきだろう。
泳ぐ金魚をボケーっとみてるといくらでも時間が過ぎてしまうのでキケンである。
観賞用ではない普通の淡水魚も若干居る。水槽等の配置も坂にそって~といった感じなのでそれも面白い。
さて、満足したら喫茶店の方へ。喫茶店は金魚坂を登りきったトコロにある洋風の建物。入り口には木製の金魚の看板がぶら下がっている。
店内に入ると坂にあるためレジから一度階段を下がるという変わった作りになっている。店内装飾は如何にもというか置いてある小物も含めて何かそういった方向性で生活している面倒くさくない親戚の叔母の家に来たような感じである。女性店主の趣味なのだろう。
そういう保守的な生活感があり、凝りすぎた喫茶店によくある尖った感じはほぼ無いので、妙な気安さからの安心感といったようなものが漂う。
そういった辺りが関係しているのか分からないが、自分はここにはランチに来ることが多かったのだが(定食の値段が上がってしまったので最近はご無沙汰)、コーヒー単品は初めての注文。チョコが付いてきた。
コーヒーを飲みながら横を見ると本郷周辺の切絵図が飾られている。ナイトホークスみたいな緊張感があるような絵は見事に無い。
といった感じでくつろげる店ではあるんだが、利用に関しては注意点がある。
これは都心部の平日となれば何処でもそうなんだろうけど、客層がほぼ有閑マダムだっていう辺りだ。一組、二組くらいならいいんだが、二階が貸し切りとかになっているとかなりうっさいので、そういうのが嫌な人はランチ時間を思いっきり過ぎた微妙な時間に来るのが良いだろう。後、二階が禁煙席なんだけどやや閉塞感がある部屋なので、極力一階の方を薦めたい。タバコ吸うオッサンがボロボロと来るような店じゃないしね。店の人に席のことを聞かれたら確認するとか。
飲み終わったらまた金魚を眺めてウロウロと。
この「喫茶 金魚坂」は外の金魚の泳ぐ異空間感と中の趣味性の強いアットホーム感のギャップというのも、面白いトコロである。変わっていく本郷に中で、いつまで維持できるのだろうかって心配な面も無きにしもあらずといった部分はあるんだけど、大通りをウロつくサラリーマンや学生等は切り捨てて有閑マダムシフトにした辺りは、今後の固定客の確保といった意味でも流石は創業350年だと言いたくなるようなシブとさがある。
街歩きで金魚だけを眺めるのも良いだろうけど、是非店に入ってそういった街に比しての安定感をも一緒に味わってもらいたいと思う。
「喫茶 金魚坂」
住所:東京都文京区本郷5-3-15
電話:03-3476-2002
定休日:月曜・第3火曜休
営業時間:平日11:30-21:30 (L.O/21:00) 土日祝11:30-20:00 (L.O/19:30)
最寄り駅:丸ノ内線・本郷三丁目駅、大江戸線・本郷三丁目駅
〒113-0033 東京都文京区本郷5丁目3−15
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